・・・ いいえ、ようございます、どんな処にでも使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象の確かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。 あの人は優しい、いい・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
・・・「おほほほほほ。善さん、どうなすッたんですよ、まアそんな顔をなすッてさ。さアあちらへ参りましょう」「お熊どんなのか。私しゃ今何か言ッてやアしなかッたかね」「いいえ、何にも言ッてらッしゃりはしませんかッたよ。何だか変ですことね。ど・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・「ええ。どうも分からないな。お断り申せとはどう云うのだね。奥さんはおいでになるが、お逢いにならないと云うのかい。」「いいえ。奥さんは拠ない御用がおありなさいますので、お出掛けになりました。いずれお手紙をお上げ申しますとおっしゃいまし・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・その時お七はわろびれずに、いいえ、吉三さんに逢いたいばかりに、火をつけたらもし逢わりょうかと思うて、つけたのでございます、と言い放して心の中で泣いて居たに違いない。ここなのだ。ここがいじらしゅうてたまらんのだ。罪禍を恐れて言い遁れるようなお・・・ 正岡子規 「恋」
・・・(いいえ。さっきの泉で洗いますから、下駄をお借老人は新らしい山桐の下駄とも一つ縄緒の栗の木下駄を気の毒そうに一つもって来た。(いいえもう結構 二人はわらじを解いてそれからほこりでいっぱいになった巻脚絆をたたいて巻き俄かに痛む膝をまげ・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・ さほ子は、懸命な声で、「いいえ、いいえ。其どころじゃあないわ」と打ち消した。 そして、生えぎわの美しい千代の下げた頸筋を苦しそうに見下しながら、いたたまれないように何遍も何遍も、落ちていもしない髪をかきあげた。 千代は・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・「いいえ、父はあしたおしおきになりますので、それについてお願いがございます。」「なんだ。あしたおしおきになる。それじゃあ、お前は桂屋太郎兵衛の子か。」「はい」といちが答えた。「ふん」と言って、男は少し考えた。そして言った。「・・・ 森鴎外 「最後の一句」
・・・貴夫人。それは思い出させてお上げ申しますわ。ですけれど内証のお話でございますよ。男。それは内証のお話と内証でないお話ぐらいはわたくしにだって。貴夫人。いいえ。そのお話申す事柄が内証だと申すのでございませんわ。事柄だけならいくらお・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・「泳げるかね。」「大好きです。」 なぜ夜海水浴をするのか問おうかと思ったが止めた。多分昼間は隙がないのだろう。「冬になるとお前さんどこへ行くかね。コッペンハアゲンだろうね。」「いいえ。ここにいます。」「ここにいるのだ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・「奥さん。あなたもやはりあちらへ、ニッツアへ御旅行ですか。」「いいえ。わたくしは国へ帰りますの。」「まだ三月ではありませんか。独逸はまだひどく寒いのです。今時分お帰りなさるようでは、あなたは御保養にいらっしゃったのではございませ・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫