・・・世界史がかきかわり、日本も世界史的規模で新たになってゆくという現実のよりどころは、文化に即して云えば窮極のところ次の世代の創造の可能力如何にかかっているのが事実である。 携帯口糧のように整理された文化の遺産は、時にとって運ぶに便利であろ・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・それに対して女が遺憾に思う気持と、男が遺憾に思っている気持とを互に知りあい信じあうこと、そして遺憾のない人間の生き方が、一つでも殖える可能のある社会条件を自分たちの一生のうちにつくってゆこうとする協力、人間は歴史的な存在であるから、私たちの・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・性別いかんにかかわらず法律のまえに平等である、という憲法の実現のあらわれは、男も女も、自然な男女そのものとして生きられるものとして法律の前に平等である、という意味でしかない。不自然な条件におかれる男と女とを合わせて半分にされた状態での平等で・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・一九四六年に用紙割当事務の内閣移管が行われたとき、政府は日本出版協会の公的存在を認めること、言論出版の自由を認めることを条件とした。ところが行政機構の変革をチャンスとして政府は従来の用紙割当委員会さえも無視して、ただ一人の長官が決定権をもつ・・・ 宮本百合子 「今日の日本の文化問題」
・・・日本文学の歴史において一つの画期を示したこの自我の転落は、当事者たちの主観から、未来を語る率直悲痛な堕落としては示されず、何か世紀の偉観の彗星ででもあるかのような粉飾と擬装の下に提示され、そこから、文学的随筆的批評というようなものも生じた次・・・ 宮本百合子 「文学精神と批判精神」
・・・生れた市を火にしてその□(に薪木からのぼる焔に巨大な頭をかがやかせ高楼の上に黄金の□□□□(の絃をかきならして大悲劇詩人の形をまねて焔の鬨の声とあわれな市民の叫喚の声とをききながら歌うネロの驕った紫の衣冠はどんなにかがやき、その心はうれしさ・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・ひとくちに人の列と云えばそれまでだが、列をなす一人一人に二つの眼と口と心と生涯とがあるのだと思えば、おそろしき偉観と思えるのである。〔一九四〇年十月〕 宮本百合子 「列のこころ」
・・・「それはいかんぞよ」こう言って忠利は今まで長十郎と顔を見合わせていたのに、半分寝返りをするように脇を向いた。「どうぞそうおっしゃらずに」長十郎はまた忠利の足を戴いた。「いかんいかん」顔をそむけたままで言った。 列座の者の中か・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・想うにこの文を読むものは予に対って、汝は汝の分身たる鴎外の死んだのを見て、奈何の観を作すかと問うであろう。予はただ笑止に思うに過ぎぬ。予はただここに一いっしゅの香を拈ってこれを弔するに過ぎぬ。予にしてもし彼の偽の幸福のために、別方面の種々の・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・庭の方を見て、海が見えないのが遺憾だと云ったり、掛物を見て書画の話をしたりする。石田は床の間に、軍人に賜わった勅語を細字に書かせたのを懸けている。これを将校行李に入れてどこへでも持って行くばかりで、外に掛物というものは持っていないのである。・・・ 森鴎外 「鶏」
出典:青空文庫