・・・菅沼というにかかる頃、暑さ堪えがたければ、鍛冶する片手わざに菓子などならべて売れる家あるを見て立寄りて憩う。湯をと乞うに、主人の妻、少時待ちたまえ、今沸かしてまいらすべしとて真黒なる鉄瓶に水を汲み入るれば、心長き事かなと呆れて打まもるに、そ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・で、鉄道や汽船の勢力が如何なる海陬山村にも文明の威光を伝える為に、旅客は何の苦なしに懐手で家を飛出して、そして鼻歌で帰って来られるようになりました。其の代りに、つい二三十年前のような詩的の旅行は自然と無くなったと申して宜しい、イヤ仕様といっ・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・鬼工であった、予は先生の遺稿に対する毎に、未だ曽て一唱三嘆、造花の才を生ずるの甚だ奇なるに驚かぬことはない。殊に新聞紙の論説の如きは奇想湧くが如く、運筆飛ぶが如く、一気に揮洒し去って多く改竄しなかったに拘らず、字句軒昂して天馬行空の勢いがあ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・るまじきも変るは塵の世の虫けらどもが栄枯窮達一度が末代とは阿房陀羅経もまたこれを説けりお噺は山村俊雄と申すふところ育ち団十菊五を島原に見た帰り途飯だけの突合いととある二階へ連れ込まれたがそもそもの端緒一向だね一ツ献じようとさされたる猪口をイ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・その中には小説の書き掛けがあったり、種々な劇詩の計画を書いたものがあったり、その題目などは二度目に版にした透谷全集の端に序文の形で書きつけて置いたが、大部分はまあ、遺稿として発表する事を見合わした方が可いと思った位で、戯曲の断片位しか、残っ・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・弟妹たちは、どうだか、と首をかしげて、にやにや笑っているだけで、一向に興奮の色を示さぬ。いったいに、弟妹たちは、この兄を甘く見ている。なめている風がある。長女は、二十六歳。いまだ嫁がず、鉄道省に通勤している。フランス語が、かなりよくできた。・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・描写に対する疑惑は、やがて、その的確すぎる描写を為した作者の人柄に対する疑惑に移行いたします。そろそろ、この辺から私の小説になりかけて居りますから、読者も用心していて下さい。 私は、この「女の決闘」という、ほんの十頁ばかりの小品をここま・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・謂わば赤黒い散文的な俗物に、少しずつ移行していたのである。それは、人間の意志に依る変化ではなかった。一朝めざめて、或る偶然の事件を目撃したことに依って起った変化でもなかった。自然の陽が、五年十年の風が、雨が、少しずつ少しずつかれの姿を太らせ・・・ 太宰治 「花燭」
・・・その結果、明治以降の大学の俗学たちの日本芸術の血統上の意見の悉皆を否定すべき見解にたどりつきつつあります。君はいつも筆の先を尖がらせてものかくでしょう。僕は君に初めて送る手紙のために筆の先をハサミで切りました。もちろんこのハサミは検閲官のハ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・山岸さんも、三田君のアッツ玉砕は、あの日の新聞ではじめて知った様子で、自分は三田君の遺稿を整理して出版する計画を持っているが、それに就いて後日いろいろ相談したい、という意味の御返事であった。遺稿集の題は「北極星」としたい気持です、小生は三田・・・ 太宰治 「散華」
出典:青空文庫