・・・ひとつおまえさんあれを一手に引き受けて遺作展覧会をやる気はありませんか。そうしたら、九頭竜の野郎、それは耳よりなお話ですから、私もひとつ損得を捨てて乗らないものでもありませんが、それほど先生がたがおほめになるもんなら、展覧会の案内書に先生が・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ 二十年前までは椿岳の旧廬たる梵雲庵の画房の戸棚の隅には椿岳の遺作が薦縄搦げとなっていた。余り沢山あるので椽の下に投り込まれていたものもあった。寒月の咄に由ると、くれろというものには誰にでも与ったが、余り沢山あったので与り切れず、その頃・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
イサク、父アブラハムに語りて、父よ、と曰ふ。彼、答へて、子よ、われ此にあり、といひければ、 ――創世記二十二ノ七 義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類が・・・ 太宰治 「父」
・・・ かつて私は、書簡もなければ日記もない、詩十篇ぐらいに訳詩十篇ぐらいの、いい遺作集を愛読したことがある。富永太郎というひとのものであるが、あの中の詩二篇、訳詩一篇は、いまでも私の暗い胸のなかに灯をともす。唯一無二のもの。不朽のもの。書簡・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・親しかった人々は追悼会や遺作展覧会を開いてくれ、またいろいろの余儀ない故障のために親戚のものだれ一人片付けに行く事のできなかった遺物の処理までも遺憾なく果たしてくれた。そしてこの処理の中に一通りならぬ濃まやかな心づかいのこもっているのを感じ・・・ 寺田寅彦 「亮の追憶」
・・・漱石の遺作で「暗翳」という未完成の作品がございましてね、なかなかどこにもないんですのよ、それを宅がやっと探して来てくれまして、と指環をいじりながら「明暗」のことを話していたその女のひとの生活の中でも、主婦としての毎日の目にはマッチのないこと・・・ 宮本百合子 「待呆け議会風景」
出典:青空文庫