・・・人間てものは誰でも誤って邪路に踏迷う事があるが、心から悔悛めれば罪は奇麗に拭い去られると懇々説諭して、俺はお前に顔へ泥を塗られたからって一端の過失のために前途にドンナ光明が待ってるかも解らないお前の一生を葬ってしまいたくない。なお更これから・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・その続きに「第九輯百七十七回、一顆の智玉、途に一騎の驕将を懲らすといふ一段を五行或は四行の大字にものしぬるに字行もシドロモドロにて且墨の続かぬ処ありて読み難しと云へば其を宅眷に補はせなどしぬるほどに十一月に至りては宛がら雲霧の中に在る如く、・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・そして可哀そうな者や頼りない者は決していじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。一旦手附けたなら、決して、それを捨てないとも聞いている。幸い、私達は、みんなよく顔が人間に似ているばかりでなく、胴から上は全部人間そのままなのであるから・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
・・・そして、自分は珍しい支那鉢に植えられて、一段高い、だんの上に載せられていたのでした。 夜になると、風は吹いたけれど、あのむちを振り、ひづめを鳴らして過ぎるようなあらしではありませんでした。星の光は急に、遠くなって、また銀河の色は、見える・・・ 小川未明 「しんぱくの話」
・・・ 媼さんは心もとなげに眺めていたが、一段声を低めて、「これはね、ここだけの話ですが――もっとも、お光さんは何もかも知っておいでなさることだから、お談しせずともだけれど、あれも来年はもう二十でございますからね。それに御存じの通りの為体で、・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 蒸気船の汽笛の音をきいた途端に、逐電しやがったとわかり、薄情にもほどがあると、すぐあとを追うて、たたきのめしてくれようと、一旦は起ち上がったが、まさか婆さんを置き去りにするわけにもいかず、折柄、「――古座谷はん、済まへんけど、しし・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・俺も森を畑へ駈出して慥か二三発も撃たかと思う頃、忽ちワッという鬨の声が一段高く聞えて、皆一斉に走出す、皆走出す中で、俺はソノ……旧の処に居る。ハテなと思た。それよりも更と不思議なは、忽然として万籟死して鯨波もしなければ、銃声も聞えず、音とい・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・豊吉は墓の間を縫いながら行くと、一段高いところにまた数十の墓が並んでいる、その中のごく小さな墓――小松の根にある――の前に豊吉は立ち止まった。 この墓が七年前に死んだ「並木善兵衛之墓」である、「杉の杜の髯」の安眠所である。 この日、・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・「然しね、お正さん、貴女も一旦嫁いだからには惑わないで一生を送った方が可しいと僕は思います。凡て女の惑いからいろんな混雑や悲嘆が出て来るものです。現に僕の事でも彼女が惑うたからでしょう……」 お正はうつ向いたまま無言。「それで今・・・ 国木田独歩 「恋を恋する人」
・・・あるいは麦畑の一端、野原のままで残り、尾花野菊が風に吹かれている。萱原の一端がしだいに高まって、そのはてが天ぎわをかぎっていて、そこへ爪先あがりに登ってみると、林の絶え間を国境に連なる秩父の諸嶺が黒く横たわッていて、あたかも地平線上を走って・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
出典:青空文庫