・・・それから何か透明な水薬を一杯飲ませました。僕はベッドの上に横たわったなり、チャックのするままになっていました。実際また僕の体はろくに身動きもできないほど、節々が痛んでいたのですから。 チャックは一日に二三度は必ず僕を診察にきました。また・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 譚は僕の問を片づけると、老酒を一杯煽ってから、急に滔々と弁じ出した。それは僕には這箇這箇の外には一こともわからない話だった。が、芸者や鴇婦などの熱心に聞いているだけでも、何か興味のあることらしかった。のみならず時々僕の顔へ彼等の目をや・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・大抵は市街地に出て一杯飲んでいたのらしく、行違いにしたたか酒の香を送ってよこすものもあった。彼れは酒の香をかぐと急にえぐられるような渇きと食欲とを覚えて、すれ違った男を見送ったりしたが、いまいましさに吐き捨てようとする唾はもう出て来なかった・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・さっき八っちゃんがにこにこ笑いながら小さな手に碁石を一杯握って、僕が入用ないといったのも僕は思い出した。その小さな握拳が僕の眼の前でひょこりひょこりと動いた。 その中に婆やが畳の上に握っていた碁石をばらりと撒くと、泣きじゃくりをしていた・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・お前、飛込んだ拍子に突然目でも廻したか、いや、水も少しばかり、丼に一杯吐いたか吐かぬじゃ。大したことはねえての、気さえ確になれば整然と治る。それからの、ここは大事ない処じゃ、婆も猫も犬も居らぬ、私一人じゃから安心をさっしゃい。またどんな仔細・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・頷きながら、「一杯呑ましておくれな。咽喉が渇いて、しようがないんだから。」「さあさあ、いまお寺から汲んで来たお初穂だ、あがんなさい。」 掬ばむとして猶予らいぬ。「柄杓がないな、爺や、お前ン処まで一所に行こう。」「何が、仏・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・と、自分は亭主に角のない皮肉をあびせかけ、銚子を僕に向けて、「まア、一杯どうどす?――うちの人は、いつも、あないなことばかり云うとります。どうぞ、しかってやってお呉れやす。」「まア、こういう人間は云いたいだけ云わして置きゃア済むんで・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・「おッ母さん、実は気が欝して来たんで、一杯飲ましてもらいたいんです、どッかいい座敷を一つ開けてもらいましょうか?」「それはありがとうござります」と、お貞はお君に目くばせしながら、「風通しのええ二階の三番がよかろ。あすこへ御案内お・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・彼はラスプーチンのような顔をして、爪の垢を一杯ためながら下宿の主婦である中年女と彼自身の理論から出たらしいある種の情事関係を作ったり、怪しげな喫茶店の女給から小銭をまきあげたり、友達にたかったりするばかりか、授業料値下げすべしというビラをま・・・ 織田作之助 「髪」
・・・ と、それで、湯崎の一件を済して置いて、言葉を続け、「――実は、あれから、朝鮮へ行って、砂金に手を出したりしましたんですが、一杯くわされましてな、到頭食いつめて、またこちらへ舞い戻って来ました」「――そりゃ大変だったね」 と・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫