・・・殷鑑は遠からず、堀田稲葉の喧嘩にあるではないか。 林右衛門は、こう思うと、居ても立っても、いられないような心もちがした。しかし彼に云わせると、逆上は「体の病」ではない。全く「心の病」である――彼はそこで、放肆を諫めたり、奢侈を諫めたりす・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・今朝、号外に腹が痛んだで、稲葉丸さ号外になまけただが、直きまた号外に治っただよ。」「それは困ったねえ、それでもすっかり治ったの。」と紅絹切の小耳を細かく、ちょいちょいちょいと伸していう。「ああ号外だ。もう何ともありやしねえや。」・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・洪水には荒れても、稲葉の色、青菜の影ばかりはあろうと思うのに、あの勝山とは、まるで方角が違うものを、右も左も、泥の乾いた煙草畑で、喘ぐ息さえ舌に辛い。 祖母が縫ってくれた鞄代用の更紗の袋を、斜っかいに掛けたばかり、身は軽いが、そのかわり・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・といった時には、その赭い頬に涙の玉が稲葉をすべる露のようにポロリと滾転し下っていた。 今のお母さんはお前をいじめるのだナ。 ナーニ、俺が馬鹿なんだ。 見た訳ではないが情態は推察出来る。それだのに、ナーニ、俺が馬鹿なんだ、とい・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・む座主の連歌に召されけり命婦より牡丹餅たばす彼岸かな滝口に灯を呼ぶ声や春の雨よき人を宿す小家や朧月小冠者出て花見る人を咎めけり短夜や暇賜はる白拍子葛水や入江の御所に詣づれば稲葉殿の御茶たぶ夜なり時鳥時鳥琥珀の・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・やがて涙も一緒に水道の水でごしごしこすった顔を因幡の兎のように赤むけに光らして、しんから切なさそうにそのひとが席へ帰って来たとき、三十二人の全級はどういう感じにうたれたろう。こわさと一緒に惨酷さがわたしの体をふるわせた。 こういう忘れら・・・ 宮本百合子 「歳月」
・・・れた十八人は寺本八左衛門直次、大塚喜兵衛種次、内藤長十郎元続、太田小十郎正信、原田十次郎之直、宗像加兵衛景定、同吉太夫景好、橋谷市蔵重次、井原十三郎吉正、田中意徳、本庄喜助重正、伊藤太左衛門方高、右田因幡統安、野田喜兵衛重綱、津崎五助長季、・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・妹には稲葉一通に嫁した多羅姫、烏丸中納言光賢に嫁した万姫がある。この万姫の腹に生まれた禰々姫が忠利の嫡子光尚の奥方になって来るのである。目上には長岡氏を名のる兄が二人、前野長岡両家に嫁した姉が二人ある。隠居三斎宗立もまだ存命で、七十九歳にな・・・ 森鴎外 「阿部一族」
出典:青空文庫