・・・あれは当世流の理屈で、だれも言うたと、言わば口前だ。徳の本心はやっぱりわしを引っぱり出して五円でも十円でもかせがそうとするのだ、その証拠には、せんだってごろまでは遊んで暮らすのはむだだ、足腰の達者なうちは取れる金なら取るようにするが得だ、叔・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・ひなは七月に行った時はまだ黄色い綿で作ったおもちゃのような格好で、羽根などもほんの琴の爪ぐらいの大きさの、言わば形ばかりのものであった。それでも時々延び上がって一人前らしく羽ばたきのまね事をするのが妙であった。麦笛を吹くような声でピーピーと・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ こういうやり方は言わばアカデミックなオーソドックスなやり方であると言われる。これは多くの人々にとって最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算を生ずる心配が少ない。そうして主要な名所旧跡をうっかり見落とす気・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・これは言わば簡単なローラーであって、二つの反対に回る樫材の円筒の間隙に棉実を食い込ませると、綿の繊維の部分が食い込まれ食い取られて向こう側へ落ち、堅くてローラーの空隙を通過し得ない種子だけが裸にされて手前に落ちるのである。おもしろいのは、こ・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・してのただの活動写真というだけの境界から脱却して、それ自身の独自な領域を自覚するようになり、創作の新しいミリューとして発見されると同時に行なわれはじめた映画制作の方法がすなわちこのモンタージュである。言わば映画の芸術的編集法とでも言ってよい・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・さもしい譬喩ではあるが、言わばビフテキのあとで良いサラダを食ったような感じがある。あるいはまたドイツの近代画家の絵とフランス近代画家の絵との二つの展覧会を続けて見たという感じもする。これは当然なことであろうが、しかしこれほどまでに二つのちが・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・この映画も言わばナンセンス映画で、ストーリーとしては実にたわいないものである。しかし、アメリカ人のナンセンスとは全く別の種類に属するナンセンス芸術である。「猿蓑」や「炭俵」がナンセンスであり、セザンヌやルノアルの絵がナンセンスであり、ドビュ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・これは、たとえて言わば、花見に行って、この花のわかるのはおれ一人だと言って群集をののしるようなものでおかしい。今はそんな人もないであろうが、しかしよく考えてみると、こうした気分は実を言うとあらゆる芸術批評家の腹の底のどこかにややもすると巣を・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・思うに絵巻物と、その後裔であるところの活動映画も言わばやはり一種の「時の器械」である。時の歩みを順にも逆にも速くもおそくも勝手に支配することができる。もっとも物理的機構にたよる活動映画では、物質的実在世界の未来は写されないし、フィルムに固定・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・いわゆるカットバックの技巧で過去のシーンを現在に引きもどすことが随意にできるのもおもしろくないことはないが、これは言わば「フィルムの記憶」の利用であって、人間の脳の記憶の代用に過ぎない。しかし真に不思議なのはフィルムの逆行による時の流れの逆・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
出典:青空文庫