・・・ 九人一つ座敷にいる中で、片岡源五右衛門は、今し方厠へ立った。早水藤左衛門は、下の間へ話しに行って、未にここへ帰らない。あとには、吉田忠左衛門、原惣右衛門、間瀬久太夫、小野寺十内、堀部弥兵衛、間喜兵衛の六人が、障子にさしている日影も忘れ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・しかし御用部屋の山崎勘左衛門、御納戸掛の岩田内蔵之助、御勝手方の上木九郎右衛門――この三人の役人だけは思わず、眉をひそめたのである。 加州一藩の経済にとっては、勿論、金無垢の煙管一本の費用くらいは、何でもない。が、賀節朔望二十八日の登城・・・ 芥川竜之介 「煙管」
一 樫井の戦いのあったのは元和元年四月二十九日だった。大阪勢の中でも名を知られた塙団右衛門直之、淡輪六郎兵衛重政等はいずれもこの戦いのために打ち死した。殊に塙団右衛門直之は金の御幣の指し物に十文字の槍・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・そして帳場机の中から、美濃紙に細々と活字を刷った書類を出して、それに広岡仁右衛門という彼れの名と生れ故郷とを記入して、よく読んでから判を押せといって二通つき出した。仁右衛門は固より明盲だったが、農場でも漁場でも鉱山でも飯を食うためにはそうい・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ と見ると、藤紫に白茶の帯して、白綾の衣紋を襲ねた、黒髪の艶かなるに、鼈甲の中指ばかり、ずぶりと通した気高き簾中。立花は品位に打たれて思わず頭が下ったのである。 ものの情深く優しき声して、「待遠かったでしょうね。」 一言あた・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ 襖がすらりとあいたようだから、振返えると、あらず、仁右衛門の居室は閉ったままで、ただほのかに見える散れ松葉のその模様が、懐しい百人一首の表紙に見えた。 泉鏡花 「縁結び」
・・・ お民はそのまま、すらりと敷居へ、後手を弱腰に、引っかけの端をぎゅうと撫で、軽く衣紋を合わせながら、後姿の襟清く、振返って入ったあと、欄干の前なる障子を閉めた。「ここが開いていちゃ寒いでしょう。」「何だかぞくぞくするようね、悪い・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・「だって、源次さん千太さん、理右衛門爺さんなんかが来ると……お前さん、この五月ごろから、粋な小烏といわれないで、ベソを掻いた三之助だ、ベソ三だ、ベソ三だ。ついでに鯔と改名しろなんて、何か高慢な口をきく度に、番ごと籠められておいでじゃない・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 犬張子が横に寝て、起上り小法師のころりと坐った、縁台に、はりもの板を斜めにして、添乳の衣紋も繕わず、姉さんかぶりを軽くして、襷がけの二の腕あたり、日ざしに惜気なけれども、都育ちの白やかに、紅絹の切をぴたぴたと、指を反らした手の捌き、波・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・――紅地金襴のさげ帯して、紫の袖長く、衣紋に優しく引合わせたまえる、手かさねの両の袖口に、塗骨の扇つつましく持添えて、床板の朽目の青芒に、裳の紅うすく燃えつつ、すらすらと莟なす白い素足で渡って。――神か、あらずや、人か、巫女か。「――そ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
出典:青空文庫