・・・たとえば池のみぎわから水面におおいかぶさるように茂った見知らぬ木のあることは知っていたが、それに去年は見なかった珍しい十字形の白い花が咲いている。それが日比谷公園の一角に、英国より寄贈されたものだという説明の札をつけて植えてある「花水木」と・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・という声が直ちにこの人の目をおおい隠して、眼前の絵の代わりに自分の頭の中に沈着して黴のはえた自分の寺の絵の像のみが照らし出される。たとえその頭の中の絵がいかに立派でもこれでは困る。手を触れるものがみんな黄金になるのでは飢え死にするほかはない・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・ われわれ先生に親しかった人々はよほど用心していないととかく自分等だけの接触した先生の世界の一部分を、先生の全体の上に蔽い被せてしまって、そうして自分等の都合のいいような先生を勝手に作り上げようとする恐れがある。意識的には無我の真情から・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・ エミール・ヤニングス主演のこの映画は、はじめからおしまいまで、この主役者の濃厚な個性でおおい尽くされた地色の上に適当な色合いを見計らった脇役の模様を置いた壁掛けのようなものである。もっとも同じくヤニングスのものであっても相手役にデ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・また衣服その他で頭をおおい、また腹部を保護するという事は、つまり電気の半導体で馬の身体の一部を被覆して、放電による電流が直接にその局部の肉体に流れるのを防ぐという意味に解釈されて来るのである。 またこういう放電現象が夏期に多い事、および・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・いう原因から起こる一日じゅうの弛張が純粋に現われるかもしれないが、日本の沿岸のような所では地方的な海陸風に相当するものが、各季節を通じてあまりに著しく発達して、上のような地球に関するものがほとんど全くおおい隠されているように見える。 要・・・ 寺田寅彦 「海陸風と夕なぎ」
・・・眼瞼に蔽いかかって来る氷袋を直しながら、障子のガラス越しに小春の空を見る。透明な光は天地に充ちてそよとの風もない。門の垣根の外には近所の子供が二、三人集まって、声高に何か云っているが、その声が遠くのように聞える。枕につけた片方の耳の奧では、・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・ 沼地などの多い、土地の低い部分を埋めるために、その辺一帯の砂がところどころ刳り取られてあった。砂の崖がいたるところにできていた。釣に来たときよりは、浪がやや荒かった。「この辺でも海の荒れることがあるのかね」「それあありますとも・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・私は朝からこんにゃく桶をかついで、いつものように屋敷の多い住宅地を売ってあるいていたが、あるお邸で、たいへんなしくじりをやってしまった。 そのお邸は石垣のうえにある高台の家で、十ばかりの石段をのぼらねばならぬ。石段をのぼると大きな黒い門・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・人家の中には随分いかめしい門構に、高くセメントの塀を囲らしたところもあるが、大方は生垣や竹垣を結んだ家が多いので、道行く人の目にも庭や畠に咲く花が一目に見わたされる。そして垣の根方や道のほとりには小笹や雑草が繁り放題に繁っていて、その中には・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫