・・・お前の逞しい胸、牛でさえ引き裂く、その広い肩、その外観によって、内部にあるお前自身の病毒は完全に蔽いかくされている。 お前が夜更けて、独りその内身の病毒、骨がらみの梅毒について、治療法を考え、膏薬を張り、神々を祈願し、嘆いていることは、・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・このごろ、子供たちがよくカニとりに行き、何十匹もとって来てオカズ代りになることが多い。しかし、これはほとんど技術が入らず、釣りのうちに入るかどうかわからない。 そこへ行くと、イイダコの方はちょっと技術を要する。イイダコはあまり深くない砂・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・日本国人の品行美ならずといえども、なお今日までにこれを維持してその醜を蔽い、時として潔清義烈の光を放って我が社会の栄誉を地に落つることなからしめたるものは何ぞや。ただ良家の婦人女子あるのみ。現に今日にあっても私徳品行の一点に至り、我が日本の・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・即ちこれを要するに、覚束ない英語でバイロンを味うよりは、ジュコーフスキーの訳を読む方が労少くして得る所が多いのである。 其処で自分は考えた、翻訳はこうせねば成功せまい、自分のやり方では、形に拘泥するの結果、筆力が形に縛られるから、読みづ・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・右にも同じ戸ありて寝間に通じ、この分は緑の天鵞絨の垂布にて覆いあり。窓にそいて左の方に為事机あり。その手前に肱突の椅子あり。柱ある処には硝子の箱を据え付け、その中に骨董を陳列す。壁にそいて右の方にゴチック式の暗色の櫃あり。この櫃には木彫の装・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・俳句に富士山を入れると俗な句になりやすい、俳句に松の句もあるけれど松の句には俗なのが多くて、かえって冬木立の句に雅なのが多い、達磨なんかは俳句に入れると非常に厭味が出来る、これ位の事は前から知って居たのであるけれどそれを画の上に推し及ぼす事・・・ 正岡子規 「画」
・・・「よし、そう決めよう。」いままでだまって立っていた、四人目の百姓が云いました。 四人はそこでよろこんで、せなかの荷物をどしんとおろして、それから来た方へ向いて、高く叫びました。「おおい、おおい。ここだぞ。早く来お。早く来お。」・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・善と正義とのためならば命を棄てる人も多い。おまえたちはいままでにそう云う人たちの話を沢山きいて来た。決してこれを忘れてはいけない。人の正義を愛することは丁度鳥のうたわないでいられないと同じだ。セララバアド。お前は何か言いたいように見える。云・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・「兄な、いるが。兄な、来たぞ。」一郎は汗をぬぐいながら叫びました。「おおい。ああい。そこにいろ。今行ぐぞ。」ずうっと向こうのくぼみで、一郎のにいさんの声がしました。 日はぱっと明るくなり、にいさんがそっちの草の中から笑って出て来・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・「おおい、虔十。あの杉ぁ枝打ぢさなぃのか。」「枝打ぢていうのは何だぃ。」「枝打ぢつのは下の方の枝山刀で落すのさ。」「おらも枝打ぢするべがな。」 虔十は走って行って山刀を持って来ました。 そして片っぱしからぱちぱち杉の・・・ 宮沢賢治 「虔十公園林」
出典:青空文庫