・・・むろんこれは西国立志編の感化でもあろう、けれども一つには彼の性情が祖父に似ているからだと思われる。彼の祖父の非凡な人であったことを今ここで詳しく話すことはできないが、その一つをいえば真書太閤記三百巻を写すに十年計画を立ててついにみごと写しお・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・自分はこんな晩に大路を歩くことが好きで。霧につつまれて歩く人を見るとみんな、何か楽しい思いにふけっているか、悲しい思いに沈んでいるかしているようで、自分もまた何とはなしに夢心地になって歩いた。 九段坂の下まで来ると、だしぬけに『なんだと・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
明治三十一年十二月十二日、香川県小豆郡苗羽村に生れた。父を兼吉、母をキクという。今なお健在している。家は、半農半漁で生活をたてゝいた。祖父は、江戸通いの船乗りであった。幼時、主として祖母に育てられた。祖母に方々へつれて行っ・・・ 黒島伝治 「自伝」
・・・ 祖父も百姓だった。その祖父も、その前の祖父も百姓だったらしい。その間、時には、田畑を売ったこともあり、また買ったこともあるようだ。家を焼かれてひどく困ったこともあるし、山を殆んど皆な売ってしまったこともある。金廻りの良かった時には、鰯・・・ 黒島伝治 「小豆島」
・・・それから其後また山本町に移ったが、其頃のことで幼心にもうすうす覚えがあるのは、中徒士町に居た時に祖父さんが御歿なりになったこと位のものです。 六歳の時、關雪江先生の御姉様のお千代さんと云う方に就いて手習を始めた。此方のことは佳人伝という・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・径路は擱きていわず、東京より秩父に入るの大路は数条ありともいうべきか。一つは青梅線の鉄道によりて所沢に至り、それより飯能を過ぎ、白子より坂石に至るの路なり。これを我野通りと称えて、高麗より秩父に入るの路とす。次には川越より小川にかかり、安戸・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・正直で、根気よくて、目をパチクリさせるような癖のあるところまで、なんとなく太郎は義理ある祖父さんに似てきた。それに比べると次郎は、私の甥を思い出させるような人なつこいところと気象の鋭さとがあった。この弟のほうの子供は、宿屋の亭主でもだれでも・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・まだ小さな時分に、両親は北村君を祖父母の手に託して置いて、東京に出た。北村君は十一の年までは小田原にいて、非常に厳格な祖父の教育の下に、成長した。祖母という人は、温順な人ではあったが、実の祖母では無くて、継祖母であった。北村君自身の言葉を借・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害を踏切台とする者であります、と祖父のジイドから、やさしく教えさとされ、私も君も共に「いい子」になりたくて、はい、などと殊勝げに首肯き、さて立ち上ってみたら、甚だばかばかしい事になった。自分をぶん殴り、しばり・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
・・・彼らは人に顕さんとて、会堂や大路の角に立ちて祈ることを好む。」ちゃんと指摘されています。 君の手紙だって同じ事です。君は、君自身の「かよわい」善良さを矢鱈に売込もうとしているようで、実にみっともない。君は、そんなに「かよわく」善良なので・・・ 太宰治 「風の便り」
出典:青空文庫