・・・ 文学的新世代の萌芽 真の文学的新世代の萌芽は、そのようなむずかしく、渡るに難い文壇大路小路の地図を知らず、知ることを要しない場所に、文壇人ではない普通の人々のこの人生に対する愛と抗議とのうちにむしろ蔵されてい・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・が、妙なもので、素通りの見物人が通る大路はきっちり定っているものだ。その庭の白く乾いた道の上こそ、草履の端から立つ埃がむっとしておれ、たった一歩、例えばまあ三月堂から男山八幡へ行く道、三笠山へ出る道を右にそれて草原に出て見る、そこで人影はも・・・ 宮本百合子 「宝に食われる」
・・・ 昼間のまっすぐに通った大路は淋しい人通りがあるばっかりでいかにも昔栄えた都と云う事がしのばれます。 貴方にも都踊は見せてあげたい。 祇園の舞妓はうっかり貴方に見せられないほど美くしい可愛いもんです。 自分で書いたらしい・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・太田は祖父伝左衛門が加藤清正に仕えていた。忠広が封を除かれたとき、伝左衛門とその子の源左衛門とが流浪した。小十郎は源左衛門の二男で児小姓に召し出された者である。百五十石取っていた。殉死の先登はこの人で、三月十七日に春日寺で切腹した。十八歳で・・・ 森鴎外 「阿部一族」
某儀明日年来の宿望相達し候て、妙解院殿御墓前において首尾よく切腹いたし候事と相成り候。しかれば子孫のため事の顛末書き残しおきたく、京都なる弟又次郎宅において筆を取り候。 某祖父は興津右兵衛景通と申候。永正十一年駿河国興・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・と云うのは、秋三の祖父が、血統の不浄な貧しい勘次の父の請いを拒絶した所、勘次の母は自ら応じてその家へ走ったことから始まった。祖父の死後秋三の父は莫大な家産を蕩尽して出奔した。それに引き換え、勘次の父は村会を圧する程隆盛になって来た。そこで勘・・・ 横光利一 「南北」
・・・そしてその村からの帰りに道路の水溜りのいびつに歪んでいる上を、ぽいッと跳び越した瞬間の、その村の明るい春泥の色を、私は祖父の大きな肩の傾きと一緒に今も覚えている。祖父の死んだこの家は、私の母や伯母の生れた家で、母の妹が養子をとっていたもので・・・ 横光利一 「洋灯」
・・・王子はその首の骨を取り返すために宮廷に行き、祖父の王の千人の妃の首を切って母妃の仇を討ったのち、母妃の首の骨を見つけ出して来た。それによって美しい妃の蘇りが成功する。この蘇った妃と、その首なきむくろに哺まれた王子と、父の王と、それが厳島の神・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・ 彼女の祖父はヴェネチアで評判の役者だった。そのころは幕がおりてから、役者が幕外へ明晩の芸題の披露に出る習慣であったが、祖父はこの披露をしたあとでしばしば自分の身の上話やおのろけや愚痴などを見物に聞かせた。見物はそれを喜んで聞くほどに彼・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫