・・・ 名古屋へんの言葉で怒ることをグザルというそうであるが、マレイでは gusari となっている。土佐の一部では子供がふきげんで guzu-guzu いうのをグジレルと言い、またグジクルという。アラビアでは「ひどく怒らせる」が ghza ・・・ 寺田寅彦 「言葉の不思議」
・・・莫迦にしてやがると思って、私も忌々しいからムキになって怒るんだがね。」 悼ましい追憶に生きている爺さんの濁ったような目にはまだ興奮の色があった。「まるで活動写真みたようなお話ね。」上さんが、奥の間で、子供を寝かしつけていながら言い出・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・ 聞えないどころか、利平の全神経は、たった一枚の塀をへだてて、隣りの争議団本部で起る一切の物音に対して、測候所の風見の矢のように動いているのだ。 ナ、何を馬鹿な、俺は仮にも職長だ、会社の信任を負い、また一面、奴らの信頼を荷のうて、数・・・ 徳永直 「眼」
・・・季節と共に風の向も変って、春から夏になると、鄰近処の家の戸や窓があけ放されるので、東南から吹いて来る風につれ、四方に湧起るラヂオの響は、朝早くから夜も初更に至る頃まで、わたくしの家を包囲する。これがために鐘の声は一時全く忘れられてしまったよ・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・その興るに当っては人の之に意を注ぐものなく、その漸く盛となるや耳に熟するのあまり、遂にその消去る時を知らしめない。服飾流行の変遷も亦門巷行賈の声にひとしい。 明治四十一年頃ロシヤのパンパンが耳新しく聞かれた時分、豆腐屋はまだ喇叭を吹かず・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・彼はすぐ怒るだけに又すぐに解ける。殊に瞽女のお石と馴染んでからはもうどんな時でもお石の噺が出れば相好を崩して畢う。大きな口が更に拡がって鉄漿をつけたような穢い歯がむき出して更に中症に罹った人のように頭を少し振りながら笑うのである。然し瞽女の・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・彼の癇癖は彼の身辺を囲繞して無遠慮に起る音響を無心に聞き流して著作に耽るの余裕を与えなかったと見える。洋琴の声、犬の声、鶏の声、鸚鵡の声、いっさいの声はことごとく彼の鋭敏なる神経を刺激して懊悩やむ能わざらしめたる極ついに彼をして天に最も近く・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・そうすると諸君は笑うだろうか、怒るだろうか。そこが問題なのである。と云うといかにも人を馬鹿にしたような申し分であるが、私は諸君が笑うか怒るかでこの事件を二様に解釈できると思う。まず私の考では相手が諸君のごとき日本人なら笑うだろうと思う。もっ・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・直観的過程において一々の点が始であり終であり、創造的なる所から、無限なる疑問が起るのである。単なる否定から何物も出て来ない。単なる形式論理の立場からは、如何なる問題にても呈出することができる。しかしそれは学問的問題となるのではない。問題は、・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・確かに今、何事かの非常が起る! 起きるにちがいない! 町には何の変化もなかった。往来は相変らず雑鬧して、静かに音もなく、典雅な人々が歩いていた。どこかで遠く、胡弓をこするような低い音が、悲しく連続して聴えていた。それは大地震の来る一瞬前・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
出典:青空文庫