・・・なぜ修身がほんとうにわれわれのしなければならないと信ずることを教えるものなら、どんな質問でも出さしてはっきりそれをほんとうかうそか示さないのだろう。一千九百廿五年十月廿五日今日は土性調査の実習だった。僕は第二班の・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・と私がきいたら『プラウダ』をよみかけていたままの手をうごかして、「ずっと真直入って行くと右側に二つ戸がある、先の方のドアですよ」と教えてくれた。礼を云って歩き出したら「お前さん、どこからかね?」「日本から来たんです」・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・東京で歳暮の町を歩いて一番目につく羽子板等はあんまり飾ってなく、あれば色取った紙を板にはりつけた二三銭のか、それでなければ八重垣姫や助六等を粗末な布で押し絵にしたものばかりである。凧の方がまだ見事に書いたのがある。まだ小学があると見えてそう・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・仏涅槃ののちに起った大乗の教えは、仏のお許しはなかったが、過現未を通じて知らぬことのない仏は、そういう教えが出て来るものだと知って懸許しておいたものだとしてある。お許しがないのに殉死の出来るのは、金口で説かれると同じように、大乗の教えを説く・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・石は意志を現す、とそんな冗談をいうほどまでに、彼は、長年の生活のうちこの石からさまざまな音響の種類を教えられたが、これはまことに恐るべき石畳の神秘な能力だと思うようになって来たのも最近のことである。何かそこには電磁作用が行われるものらしい石・・・ 横光利一 「微笑」
・・・仰って、いまは、透き通るようなお手をお組みなされ、暫く無言でいらっしゃる、お側へツッ伏して、平常教えて下すった祈願の言葉を二た度三度繰返して誦える中に、ツートよくお寐入なさった様子で、あとは身動きもなさらず、寂りした室内には、何の物音もなく・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・我々はそれによっていわゆる未開人をいかに見るべきかを教えられる。フロベニウス自身が指摘しているように、人類の文化の統一は、ただこのような理解を通じてのみ望み得られるのである。 自分はこの書を読み始めた時に、巻頭においてまず強い激動を受け・・・ 和辻哲郎 「アフリカの文化」
出典:青空文庫