・・・切られたかと思ったほど痛かったが、それでも夢中になって逃げ出すとネ、ちょうど叔父さんが帰って来たので、それで済んでしまったよ。そうすると後で叔父さんに対って、源三はほんとに可愛い児ですよ、わたしが血の道で口が不味くってお飯が食べられないって・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・それから其後また山本町に移ったが、其頃のことで幼心にもうすうす覚えがあるのは、中徒士町に居た時に祖父さんが御歿なりになったこと位のものです。 六歳の時、關雪江先生の御姉様のお千代さんと云う方に就いて手習を始めた。此方のことは佳人伝という・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・児を棄てる日になりゃア金の茶釜も出て来るてえのが天運だ、大丈夫、銭が無くって滅入ってしまうような伯父さんじゃあねえわ。「じゃあ何かいい見込でも立ってるのかエ。「ナアニ、ちっとも立ってねえのヨ。「どうしたらそういい気になっていられ・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・ 小父さんが遊びだとって、俺が遊びだとは定ってやしない。と癇に触ったらしく投付けるようにいった。なるほどこれは悪意で言ったのではなかったが、己を以て人を律するというもので、自分が遊びでも人も遊びと定まっている理はないのであった。公平・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・正直で、根気よくて、目をパチクリさせるような癖のあるところまで、なんとなく太郎は義理ある祖父さんに似てきた。それに比べると次郎は、私の甥を思い出させるような人なつこいところと気象の鋭さとがあった。この弟のほうの子供は、宿屋の亭主でもだれでも・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・まだ小さな時分に、両親は北村君を祖父母の手に託して置いて、東京に出た。北村君は十一の年までは小田原にいて、非常に厳格な祖父の教育の下に、成長した。祖母という人は、温順な人ではあったが、実の祖母では無くて、継祖母であった。北村君自身の言葉を借・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・兄や叔父の入った未決檻の方へもよく引擦って行った足だ。歩いて歩いて、終にはどうにもこうにも前へ出なく成って了った足だ。日の映った寝床の上に器械のように投出して、生きる望みもなく震えていた足だ…… その足で、比佐は漸くこの仙台へ辿り着いた・・・ 島崎藤村 「足袋」
・・・「よその伯父さんが連れに来たんだ」「どんな伯父さんが」「よその伯父さんだよ」と涙を啜る。 自分は深い谷底へ一人取残されたような心持がする。藤さんはにわかに荷物を纒めて帰って行ったというのである。その伯父さんというのはだいぶ年・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・長兄を、父と全く同じことに思い、次兄を苦労した伯父さんの様に思い、甘えてばかりいました。私が、どんなひねこびた我儘いっても、兄たちは、いつも笑って許してくれました。私には、なんにも知らせず、それこそ私の好きなように振舞わせて置いてくれました・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・大芸術家とは、束縛に鼓舞され、障害を踏切台とする者であります、と祖父のジイドから、やさしく教えさとされ、私も君も共に「いい子」になりたくて、はい、などと殊勝げに首肯き、さて立ち上ってみたら、甚だばかばかしい事になった。自分をぶん殴り、しばり・・・ 太宰治 「鬱屈禍」
出典:青空文庫