・・・ 下級海員たちは、何か、背中の方に居るように感じた。又、彼等は一様に、何かに性急に追いまくられてるように感じた。 彼等は、純粋な憐みと、純粋な憤りとの、混合酒に酔っ払った。 ――俺たちも―― 此考えを、彼等は頑固な靴や、下駄・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・』 各箇かの団体の、いろいろの彩布の大旗小旗の、それが朝風に飜って居る勇しさに、凝乎と見恍れてお居でなさった若子さんは、色の黒い眼の可怖い学生らしい方に押されながら、私の方を見返って、『なに大丈夫よ。私前に行くからね、美子さん尾いて・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・記者は封建時代の人にして、何事に就ても都て其時代の有様を見て立論することなれば、君臣主従は即ち藩主と士族との関係にして、其士族たる男子には藩の公務あれども、妻女は唯家の内に居るが故に婦人に主君なしと放言したることならんか。若しも然るときは百・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・雨は天より降るといい、あるいは雲凝りて雨となるというのみにして、蒸発の理と数とにいたりては、かつてその証拠を求むるを知らざりしなり。朝夕水を用いてその剛軟を論じながら、その水は何物の集まりて形をなしたるものか、その水中に何物を混じ何物を除け・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・丁度、撃劒で丁々と撃合っては居るが、つまり真劒勝負じゃない、その心持と同なじ事だ。こんな風だから、他人は作をしていねば生活が無意味だというが、私は作をしていれば無意味だ、して居らんと大に有意味になる。この相違を来すにゃ何か相当の原因が無くば・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
為事室。建築はアンピイル式。背景の右と左とに大いなる窓あり。真中に硝子の扉ありてバルコンに出づる口となりおる。バルコンよりは木の階段にて庭に降るるようなりおる。左には広き開き戸あり。右にも同じ戸ありて寝間に通じ、この分は緑の天鵞絨の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・花を友とせむにつきつきしかるべしかし、かくいふは参議正四位上大蔵大輔源朝臣慶永元治二年衣更著末のむゆか、館に帰りてしるす 曙覧が清貧に処して独り安んずるの様、はた春岳が高貴の身をもってよく士に下るの様はこの文を見てよく知るを得ん。こ・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ 曙覧の歌調を概論すれば第二句重く第四句軽く、結句は力弱くして全首を結ぶに足らざるもの最も多きに居る。『万葉』にこの頭重脚軽の病なきはもちろん、『古今』にもまたなし。徳川氏の末ようやく複雑なる趣向を取るに至りて多くは皆この病を免れず。曙・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ *いま小樽の公園に居る。高等商業の標本室も見てきた。馬鈴薯からできるもの百五、六十種の標本が面白かった。この公園も丘になっている。白樺がたくさんある。まっ青な小樽湾が一目だ。軍艦が入っているので海軍には旗も立・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・「いいえ、お日さまの光の降る時なら誰にだってまっ赤に見えるだろうと思います」「そうそう。もうわかったよ。お前たちはいつでも花をすかして見るのだから」「そしてあの葉や茎だって立派でしょう。やわらかな銀の糸が植えてあるようでしょう。・・・ 宮沢賢治 「おきなぐさ」
出典:青空文庫