・・・また、それがないにしても、その時にはもう私も、いつか子爵の懐古的な詠歎に釣りこまれて、出来るなら今にも子爵と二人で、過去の霧の中に隠れている「一等煉瓦」の繁華な市街へ、馬車を駆りたいとさえ思っていた。そこで私は頭を下げながら、喜んで「どうぞ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・元禄時代に対する回顧がそれである。見よ、彼らの亡国的感情が、その祖先が一度遭遇した時代閉塞の状態に対する同感と思慕とによって、いかに遺憾なくその美しさを発揮しているかを。 かくて今や我々青年は、この自滅の状態から脱出するために、ついにそ・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 五十に近い身で、少年少女一夕の癡談を真面目に回顧している今の境遇で、これをどう考えたらば、ここに幸福の光を発見することができるであろうか。この自分の境遇にはどこにも幸福の光が無いとすれば、一少女の癡談は大哲学であるといわねばならぬ。人・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
今も尚お、その境地から脱しないでいる私にあっては、『貧乏時代』と、言って、回顧する程のゆとりを心の上にも、また、実際の上にも持たないのでありますが、これまでに経験したことの中で、思い出さるゝ二三の場合について、記して見ます。 何と・・・ 小川未明 「貧乏線に終始して」
・・・に家号を入れた料理仕出屋があったり、間口の広い油屋があったり、赤い暖簾の隙間から、裸の人が見える銭湯があったり、ちょうど大阪の高台の町である上町と、船場島ノ内である下町とをつなぐ坂であるだけに、寺町の回顧的な静けさと、ごみごみした市井の賑か・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・私はまだ三十代の半ばにも達していないが、それでも大阪を書くということには私なりの青春の回顧があった。しかし、私はいま回顧談をもとめられているわけではない。「かたはらに秋草の花語るらく ほろびしものはなつかしきかな」 ・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・ ――食ってしまいたくなるような風景に対する愛着と、幼い時の回顧や新しい生活の想像とで彼の時どきの瞬間が燃えた。また時どき寝られない夜が来た。 寝られない夜のあとでは、ちょっとしたことにすぐ底熱い昂奮が起きる。その昂奮がやむと道・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・』これがかれの開口第一のあいさつであった。自分が慇懃にあいさつする言葉を打ち消して、『いやそうあらたまれては困る。』かれは酒気を帯びていた。『これが土産だ。ほかに何にもない、そら! これを君にくれる、』と投げだしたのは短刀であった。自分・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
この戯曲は私の青春時代の記念塔だ。いろいろの意味で思い出がいっぱいまつわっている。私はやりたいと思う仕事の志がとげられず、精力も野心も鬱積してる今日、青春の回顧にふけるようなことはあまりないが、よく質問されるので、この戯曲・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・われらの祖先の日本娘はどんな恋をしたか、も少し恋歌を回顧してみよう。言にいでて言はばゆゆしみ山川のたぎつ心を塞かへたりけり思ふこと心やりかね出で来れば山をも川をも知らで来にけり冬ごもり春の大野を焼く人は焼きたらぬかもわが心焼・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
出典:青空文庫