・・・ 松やは解雇せられた。勝治の立場は、いよいよ、まずいものになった。勝治は、ほとんど家にいつかなかった。二晩も三晩も、家に帰らない事は、珍らしくなかった。麻雀賭博で、二度も警察に留置せられた。喧嘩して、衣服を血だらけにして帰宅する事も時々・・・ 太宰治 「花火」
・・・という問を連発して論敵をなやましたものだ、という懐古談なのだ。久保万か、小島氏か、一切忘れてしまったけれども、とにかく、ひどくのんびり語っていた。これには、わたくしたち、ほとほと閉口いたしましたもので、というような口調であった。いずくんぞ知・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・湯浅氏の回顧陳列もある意味で日本洋画界の歴史の側面を示すものである。これを見ると白馬会時代からの洋画界のおさらえができるような気がする。ただこの人の昔の絵と今の絵との間にある大きな谷にどういう橋がかかっているかが私にはわからない。 新し・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・しかし今年は「回顧陳列」というのがあるというので、これだけはぜひ見たいと思っていたものを、それすら当日の朝は綺麗に忘れてしまっていたのである。これは耄碌と云われても仕方がない。 昼過ぎに上野へ出掛けたが、美術館前の通りは自動車で言葉通り・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・否、かえって自分の学生時代を回顧すると、苦学というよりむしろ楽学とでも言うほうかもしれぬ。こういう物をほしい、ああいう書物が買いたいと言えば、親はいうに任せてなんでも買ってくれた。別にやかましい小言も聞かなければ、勉強についてもむつかしい制・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・明治の初年に狂気のごとく駈足で来た日本も、いつの間にか足もとを見て歩くようになり、内観するようになり、回顧もするようになり、内治のきまりも一先ずついて、二度の戦争に領土は広がる、新日本の統一ここに一段落を劃した観がある。維新前後志士の苦心も・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・新聞社でストライキに加わって解雇され、発電所で「労働問題演説会」を主催した一人だというので検挙され、印刷工組合の組織に参加すると、もう有名になってしまって、雇ってくれるところがなくなっていた。仲間の小野は東京へ出奔したし、いま一人の津田は福・・・ 徳永直 「白い道」
・・・ 大正の時代は今日よりして当時を回顧すれば、日本の生活の最豊富な時であった。一時の盛大はやがて風雲の気を醸し、遂に今日の衰亡を招ぐに終った。われわれが再びバナナやパインアップルを貪り食うことのできるのはいつの日であろう。この次の時代をつ・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 戦争が長びいて、瓦斯もコークスも使えなくなって、楽屋の風呂が用をなさなくなると、ほどもなく、爺さんは解雇されたと見えて、楽屋口から影の薄い姿を消し、掃除は先の切れた箒で、新顔の婆さんがするようになった。 ○・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・ ○ わたくしはつらつら過去の生涯を回顧して見ると、この六十年の間、わたくしの思想と生活との方向を指導し来ったものは、支那人と西洋人との思想であった。支那の思想は老荘と仏教とを混和した宋以後のものである。西洋の・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫