・・・ 屋上へのぼる。階上に洗濯室が二つ。鼠色の制服を着た雑使婦の婆さんが洗濯している。どこかミレーの絵の鼠色の気分である。屋上の砂利の上に関東八州の青空。風が強くて干し物がいくつか砂利の上に落ちている。清らかになまめかしい白足袋も一足落ちて・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・降雨のほうでは、全雨量の平均幾割幾分が開場時間に落ちるかが定まり、また外出する市民の平均幾%がこの百貨店に入り、その平均幾%がX売り場に到着しその中の平均幾%が買い物をし、そうして一人の支払い額が平均いくばくであるということが考え得られると・・・ 寺田寅彦 「物質群として見た動物群」
・・・今は白木屋の階上で蕎麦が食われる。こんなつまらない事を考えたりする。「駿河町」の絵を見ると、正面に大きな富士がそびえて、前景の両側には丸に井桁に三の字を染め出した越後屋ののれんが紫色に刷られてある。絵に記録された昔の往来の人の風俗も、われわ・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・だからわしはポスターでも、会場費でも何でも提供している。しかしだね、諸君は学生だ、いいですか、いわば親のすねかじりだ。いや怒っちゃいけませんよ、しかしだネ、いざといって、諸君に何か……」 さいごに、おとなしい福原も、だまって外へ出ていっ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・その境の引戸を左右に明放つと、舞踏のできる広い一室になるようにしてあった。階上にはベランダを廻らした二室があって、その一は父の書斎、一つは寝室であるが、そのいずれからも坐ながらにして、海のような黄浦江の両岸が一目に見渡される。父はわたくしに・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・日光の廟門を模擬した博覧会場の建築物にも均しい。菊人形の趣味に一層の俗悪を加えたものである。斯くの如き傾向はいつの時に其の源を発したか。混沌たる明治文明の赴くところは大正年間十五年の星霜を経由して遂にこの風俗を現出するに至ったものと看るより・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・ 私のやる演題はこういう教育会の会場での経験がないのでこまりました。が、名が教育会であるし、引受ける私は文学に関係あるものであるから、教育と文芸という事にするが能いと思いまして、こういう題にしました。この教育と文芸というのは、諸君が主で・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ 余と安倍君とは先生に導びかれて、敷物も何も足に触れない素裸のままの高い階子段を薄暗がりにがたがた云わせながら上って、階上の右手にある書斎に入った。そうして先生の今まで腰をおろして窓から頭だけを出していた一番光に近い椅子に余は坐った。そ・・・ 夏目漱石 「ケーベル先生」
・・・停車場からこの会場までの道程も大分ある。こう申しては失礼であるが昔見た時はごくケチな所であったかのようにしか、頭に映じないのであります。それで車の上で感服したような驚いたような顔をして、きょろきょろ見廻して来ると所々の辻々に講演の看板と云い・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・ 人数に比べて部屋の数が多過ぎるので、寄宿舎は階上を自習室にあて、階下を寝室にあててあった。どちらも二十畳ほど敷ける木造西洋風に造ってあって、二人では、少々淋しすぎた。が、深谷も安岡も、それを口に出して訴えるのには血気盛んに過ぎた。・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
出典:青空文庫