・・・もうお帰りですか。」 と言って、下女のお徳がこの私を玄関のところに迎えた。お徳の白い割烹着も、見慣れるうちにそうおかしくなくなった。「次郎ちゃんは?」「お二階で御勉強でしょう。」 それを聞いてから、私は両手に持てるだけ持って・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・学校の生徒らしい夏帽子に土地風なカルサン穿きで、時々後方を振返り振返り県道に添うて歩いて行く小さな甥の後姿は、おげんの眼に残った。 三吉が帰って行った後、にわかに医院の部屋もさびしかった。しかしおげんは久しぶりで東京の方に居る弟の熊吉に・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・笑って、もうさんざん腹を抱えて反りかえるようにして、笑って笑い抜いたかと思うと、今度は暗い座敷牢の格子に取りすがりながら、さめざめと泣いた。「お父さま――お前さまの心持は、この俺にはよく解るぞなし。俺もお前さまの娘だ。お前さまに幼少な時・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・「お早くお帰りなさいましな」「ええ」と自分は後の事は何んにも知らずに、ステッキを振り廻しながらとことこと出て行ったけれど、二人はついにこれが永き別れとなったのである。 もちろんこの時には、借りた着物はもう着換えていた。着換えるま・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 子どもは泣きだして、「お家に帰りましょう」 と申します。「あのおそろしい旅をもう一度ですか。とてもとても。私は海の中にはいるほうがまだましだと思う」 とおかあさんは答えましたが、 やはり子どもは、「お家に行きた・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・ すでに西に帰り、信書しばしば至る。書中雅意掬すべし。往時弁論桿闔の人に似ざるなり。去歳の春、始めて一書を著わし、題して『十九世紀の青年及び教育』という。これを朋友子弟に頒つ。主意は泰西の理学とシナの道徳と並び行なうべからざるの理を述ぶ・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・自分で勝手に、自分に約束して、いまさら、それを破れず、東京へ飛んで帰りたくても、何かそれは破戒のような気がして、峠のうえで、途方に暮れた。甲府へ降りようと思った。甲府なら、東京よりも温いほどで、この冬も大丈夫すごせると思った。 甲府へ降・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・ 私は、あわてて頬を固くし、真面目な口調に返り、「僕なら、平気でやってのけるね。自己優越を感じている者だけが、真の道化をやれるんだ。そんな事で憤慨して、制服をたたき売るなんて、意味ないよ。ヒステリズムだ。どうにも仕様がないものだから・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・母親は其頃茶摘に行っては、よく帰りに淡竹の筍を沢山採って来た。 楓の若葉は赤いのよりも緑なのが好いと私は思う。 田山花袋 「新茶のかおり」
・・・その帰りに英国でも講演をやった。その当時の彼の地の新聞は彼の風采と講演ぶりを次のように伝えている。「……。ちょっと見たところでは別に堂々とした様子などはない。中背で、肥っていて、がっしりしている。四十三にしてはふけて見える。皮膚は蒼白に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫