・・・その敬服さ加減を披瀝するために、この朴直な肥後侍は、無理に話頭を一転すると、たちまち内蔵助の忠義に対する、盛な歎賞の辞をならべはじめた。「過日もさる物識りから承りましたが、唐土の何とやら申す侍は、炭を呑んで唖になってまでも、主人の仇をつ・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・私はこの芝居見物の一日が、舞台の上の菊五郎や左団次より、三浦の細君と縞の背広と楢山の細君とを注意するのに、より多く費されたと云ったにしても、決して過言じゃありません。それほど私は賑な下座の囃しと桜の釣枝との世界にいながら、心は全然そう云うも・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・果敢ない労力に句点をうって、鍬の先きが日の加減でぎらっぎらっと光った。津波のような音をたてて風のこもる霜枯れの防風林には烏もいなかった。荒れ果てた畑に見切りをつけて鮭の漁場にでも移って行ってしまったのだろう。 昼少しまわった頃仁右衛門の・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 見えつつ、幻影かと思えば、雲のたたずまい、日の加減で、その色の濃い事は、一斉に緋桃が咲いたほどであるから、あるいは桃だろうとも言うのである。 紫の雲の、本願寺の屋の棟にかかるのは引接の果報ある善男善女でないと拝まれない。が紅の霞は・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ と従七位は、山伏どもを、じろじろと横目に掛けつつ、過言を叱する威を示して、「で、で、その衣服はどうじゃい。」「ははん――姫様のおめしもの持て――侍女がそう言うと、黒い所へ、黄色と紅条の縞を持った女郎蜘蛛の肥えた奴が、両手で、へ・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・明神様もけなりがッつろと、二十三夜の月待の夜話に、森へ下弦の月がかかるのを見て饒舌った。不埒を働いてから十五年。四十を越えて、それまでは内々恐れて、黙っていたのだが、――祟るものか、この通り、と鼻をさして、何の罰が当るかい。――舌も引かぬに・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・芭蕉蕪村などあれだけの人でも殆ど著述がない、書物など書いた人は、如何にも物の解った様に、うまいことをいうて居るが、其実趣味に疎いが常である、学者に物の解った人のないのも同じ訳である、太宰春台などの馬鹿加減は殆どお話にならんでないか。・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・僕は大切な時間を取られるのが惜しかったので、いい加減に教えてすましてしまうと、「うちの芸者も先生に教えていただきたいと言います」と言い出した。「面倒くさいから、厭だよ」と僕は答えたが、跡から思うと、その時からすでにその芸者は僕を・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ドチラかというと寡言の方で、眼と唇辺に冷やかな微笑を寄せつつ黙して人の饒舌を聞き、時々低い沈着いた透徹るような声でプツリと止めを刺すような警句を吐いてはニヤリと笑った。 緑雨の随筆、例えば『おぼえ帳』というようなものを見ると、警句の連発・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・語学校の教授時代、学生を引率して修学旅行をした旅店の或る一夜、監督の各教師が学生に強要されて隠し芸を迫られた時、二葉亭は手拭を姉さん被りにして箒を抱え、俯向き加減に白い眼を剥きつつ、「処、青山百人町の、鈴木主水というお侍いさんは……」と瞽女・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
出典:青空文庫