・・・けれども溢れ出る生命の過剰を現すことが出来ない。」バルザックが、以上のような規準に従って現実ととり組み、自身の文体をも構造しようと努力した態度の内には、今日においても学ぶべき創作上の鋭い暗示、真の芸術的能才者の示唆を含んでいる。それだのに、・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・ プロレタリア文学者が、ものを否定的にばかりいいたがるということが、小林秀雄、河上徹太郎氏その他の同傾向の人々からいわれたし、今も、これからもいわれるであろうと思う。一般の読者の中には、現実生活の重苦しさにげんなりした心持をプロレタリア・・・ 宮本百合子 「プロ文学の中間報告」
・・・庶民性そのものへの過剰な肯定があることから、散文精神なるものが従来の作家的実践のままでは、とかく無批判的な日暮し描写、或る意味での追随的瑣末描写の中に技術を練磨される傾きであった。大衆というものの内部構成と、そこに潜んでいる可能性というもの・・・ 宮本百合子 「文学の大衆化論について」
・・・ごく大ざっぱに見て、小林秀雄、林房雄、河上徹太郎、横光利一、室生犀星氏等のように、今日あるままの分裂の形に於て、作家の側からより文化水準の低い民衆を眺め、官吏、軍人、実業家中の精鋭なる人士が情熱を示している刻下の中心問題を文学の中心課題とし・・・ 宮本百合子 「文学の大衆化論について」
・・・力の過剰のために、無細工な若者ゴーリキイが疲労で鈍くなるまでの労働であった。 この時期に、ゴーリキイの心持にとって代えるもののなかった祖母が死んだ。葬式がすんで七週間後に従兄から手紙が来て、それを知らせた。句読点のない短い手紙の中には、・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・義理人情が芸術の要因の重きを占めるようになった徳川権力確立以後の日本人の芸術は、感傷と悲壮との過剰に苦しめられている。しかも、これらの芸術的要素は、万葉時代にはこのような形では日本人の生活感情のうちに現われていなかったものである。まして、い・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・白い手袋をはめさせられた女の子が椅子の上で日曜着の膝に落ちた煤煙をふき払った。河上は風がある。ウェストミンスタア橋に近づくと、河の水からやっと這い上ったばかりの猫が一匹コンクリートの河岸のでっぱりの上で盛に上を見ながら鳴き立てていた。河岸ま・・・ 宮本百合子 「ロンドン一九二九年」
・・・然るにここに書いた四箇条の誤訳は、皆極平易な句に過ぎぬ。そうでないのは所謂「とがき」などである。今後は難渋な句の誤訳をも、もしどこかにあったら、発見して貰いたい。私は訳本ファウストを読まれる人達に、一層深い望を属している。・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・ そんなら翻訳の凡例はどうかと云うに、私は実際凡例として書く程の箇条を持っていない。総てこの頃の私の翻訳はそうであるが、私は「作者がこの場合にこの意味の事を日本語で言うとしたら、どう言うだろうか」と思って見て、その時心に浮び口に上ったま・・・ 森鴎外 「訳本ファウストについて」
・・・ 私小説はそれを克服して後始めて本格小説となるという河上徹太郎、小林秀雄両氏などの説も今の作家にとっては何よりの警告であったと思うが、そのようになるための方法としてでも私は制作をするということが本業ではなく副業であると見る見方をとらねば・・・ 横光利一 「作家の生活」
出典:青空文庫