・・・その下等動物を、私は初めて見た。その中には二三疋の小魚を食っているのもあった。「そら叔父さん綸が……」雪江は私に注意した。釣をする人たちによって置かれた綸であった。松原が浜の突角に蒼く煙ってみえた。昔しの歌にあるような長閑さと麗かさがあ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・風俗画報社の『新撰東京名所図会』もまた『江戸繁昌記』を引きこれを補うに加藤善庵が『墨水観花記』を以てしている。わたくしは塩谷宕陰の文集に載っている「遊墨水記」を以て更にこれを補うであろう。 静軒の文は天保に成ったもの、宕陰の記は慶応改元・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・太功記の色彩などははなはだ不調和極まって見えます。加藤清正が金釦のシャツを着ていましたが、おかしかったですよ。光秀のうちは長屋ですな。あの中にあんな綺麗な着物を着た御嫁さんなんかがいるんだから、もったいない。光秀はなぜ百姓みたように竹槍を製・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・尤も厚い独逸書で、外国にいる加藤恒忠氏に送って貰ったもので、ろくに読めもせぬものを頻りにひっくりかえしていた。幼稚な正岡が其を振り廻すのに恐れを為していた程、こちらは愈いよいよ幼稚なものであった。 妙に気位の高かった男で、僕なども一緒に・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・国を立つ前五六年の間にはこんな下等な考は起さなかった。ただ現在に活動しただ現在に義務をつくし現在に悲喜憂苦を感ずるのみで、取越苦労や世迷言や愚痴は口の先ばかりでない腹の中にもたくさんなかった。それで少々得意になったので外国へ行っても金が少な・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・元来仕えるとは、君臣主従など言う上下の身分を殊にして、下等の者が上等の者に接する場合に用うる文字なり。左れば妻が夫に仕えるとあれば、其夫妻の関係は君臣主従に等しく、妻も亦是れ一種色替りの下女なりとの意味を丸出にしたるものゝ如し。我輩の断じて・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 数年前英国にて下院を改革し、下等の人民までも議院の事に参与するの法を定めたりしに、その時にあたりて識者の考に、今後議院の権は役夫・職人の手に帰し、あるいは害あるべしといい、あるいは益あるべしといい、議論喋々たりしが、その成跡を見れば、・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ そこでかれこれする間に、ごく下等な女に出会った事がある。私とは正反対に、非常な快活な奴で、鼻唄で世の中を渡ってるような女だった。無論浅薄じゃあるけれども、其処にまた活々とした処がある。私の様に死んじゃ居ない。で、其女の大口開いてアハハ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・如何に無教育の下等社会だって…………しかし貧民の身になって考て見るとこの窃盗罪の内に多少の正理が包まれて居ない事もない。墓場の鴉の腸を肥すほどの物があるなら墓場の近辺の貧民を賑わしてやるが善いじャないか。貧民いかに正直なりともおのれが飢える・・・ 正岡子規 「墓」
・・・「ハイ唯今河東さんがお出になって一緒に出て行きました。」「マーチャンお目出とう。」「マーチャンお辞儀おしなさい。このおじさん知っていますか。オホンオホンじいちゃんがネー御病気がすっかりよくおなりなすっていらしったのだからお辞儀をしなくちゃい・・・ 正岡子規 「初夢」
出典:青空文庫