・・・これから後にもまだどれだけの可能性があるかわからない。 こんな事を考えてみると、あの池は、いつまでもつぶしてしまいたくない。大学の地面が足りなくなって、あらゆる庭園や木立ちがつぶされる時が来ても、あの池は保存しておいてもらいたい。景色や・・・ 寺田寅彦 「池」
・・・ 戦場で負傷したきずに手当てをする余裕がなくて打っちゃらかしておくと、化膿してそれに蛆が繁殖する。その蛆がきれいに膿をなめつくしてきずが癒える。そういう場合のあることは昔からも知られていたであろうが、それが欧州大戦以後、特に外科医の方で・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・そのあとが少し化膿して痛がゆかったり、それが帷子でこすれでもすると背中一面が強い意識の対象になったり、そうした記憶がかなり鮮明に長い年月を生き残っている。そういうできそこねた灸穴へ火を点ずる時の感覚もちょっと別種のものであった。 一日分・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・ そのころの先生の親しかった同僚教授がたの中には狩野亨吉、奥太一郎、山川信次郎らの諸氏がいたようである。「二百十日」に出て来る一人が奥氏であるというのが定評になっているようである。 学校ではオピアムイーターや、サイラス・マーナーを教・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・たとえば狩野派・土佐派・四条派をそれぞれこの三角の三つの頂点に近い所に配置して見ることもできはしないか。 それはいずれにしてもこれらの諸派の絵を通じて言われることは、日本人が輸入しまた創造しつつ発達させた絵画は、その対象が人間であっても・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・茶碗の底を見ると狩野法眼元信流の馬が勢よく跳ねている。安いに似合わず活溌な馬だと感心はしたが、馬に感心したからと云って飲みたくない茶を飲む義理もあるまいと思って茶碗は手に取らなかった。「さあ飲みたまえ」と津田君が促がす。「この馬はな・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・それで兎に角やって見ようと思ってそういうと、外山さんは私を嘉納さんのところへやった。嘉納さんは高等師範の校長である。其処へ行って先ず話を聴いて見ると、嘉納さんは非常に高いことを言う。教育の事業はどうとか、教育者はどうなければならないとか、迚・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」
・・・私は狩野元信のために生きているので、決して私のためには生きているのではないと看板をかける人もたくさんある。こういうのは身を殺して仁をなすというものでしょう。しかし personality の論法で行くと、これは問題にならない。こんな人はとり・・・ 夏目漱石 「無題」
・・・するとある日当時の高等学校長、今ではたしか京都の理科大学長をしている久原さんから、ちょっと学校まで来てくれという通知があったので、さっそく出かけてみると、その座に高等師範の校長嘉納治五郎さんと、それに私を周旋してくれた例の先輩がいて、相談は・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・如何にして時空の世界の中にありて、しかもこれを越えるということが可能であるか。それは表現的関係によって考えられねばならない。自己が世界を表現するとともに、世界の自己表現の一立脚点である。かかる矛盾的自己同一の形式によって、我々の自己の自覚的・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
出典:青空文庫