・・・中でも、これがために最も心を労したのは、家老の前島林右衛門である。 林右衛門は、家老と云っても、実は本家の板倉式部から、附人として来ているので、修理も彼には、日頃から一目置いていた。これはほとんど病苦と云うものの経験のない、赭ら顔の大男・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・ 田口というは昔の家老職、城山の下に立派な屋敷を昔のままに構えて有福に暮らしていましたので、この二階を貸し、私を世話してくれたのは少なからぬ好意であったのです。 ところで驚いたのは、田口に移った日の翌日、朝早く起きて散歩に出ようとす・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・そして一人の子どもの哺乳や、添寝や、夜泣きや、おしっこの始末や、おしめの洗濯でさえも実に睡眠不足と過労とになりがちなものであるのに、一日外で労働して疲労して帰って、翌日はまた託児所にあずけて外出するというようなことで、果して母らしい愛育がで・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
・・・ そこを、空腹と、過労と、疲憊の極に達した彼等が、あてもなくふらついていた。靴は重く、寒気は腹の芯にまでしみ通って来た。…… 黒島伝治 「橇」
・・・農村の青年たちは、鍬や鎌を捨て、窮乏と過労の底にある家に、老人と、幼い弟や妹を残して、兵営の中へ這入って行かなければならない。 村の在郷軍人や、青年団や、村長は、入営する若ものを送って来る。そして云う。国家のために入営するのは目出度いこ・・・ 黒島伝治 「入営する青年たちは何をなすべきか」
・・・そうして過労が盲腸炎の原因になるという事を、私は自分のその時の経験から知っていた。「なにせあの時の北さんは、強行軍だったからなあ。」 北さんは淋しそうに微笑んだ。私は、たまらない気持だった。みんな私のせいなんだ。私の悪徳が、北さんの寿命・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・そう云った風に夢中になっているときには、暑さや寒さに対して室温並びに衣服の調節を怠るような場合がどうしても多い上に、身心ともに過労に陥るのを気持の緊張のために忘却して無理をしがちになるから自然風邪のみならずいろんな病気に罹りやすいような条件・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ 実際自分のようなものでも、健康のぐあいがよくて精力の満ちているような場合に、このような変則な笑いの出現する事はまれであって、病後あるいは精神過労の後に最も顕著な事から考えてもこの仮説は少なくともよほど見込みがありそうである。 ・・・ 寺田寅彦 「笑い」
・・・この時に下士の壮年にして非役なる者(全く非役には非ざれども、藩政の要路に関数十名、ひそかに相議して、当時執権の家老を害せんとの事を企てたることあり。中津藩においては古来未曾有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
きょう、この会に出席して、みなさまにお目にかかれないのを、ほんとうに残念に思います。去年の秋、過労して健康をわるくしてから、おはなしができないで、ずいぶんあちこちの学校からの御希望に添えませんでした。そういう学校からの方た・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
出典:青空文庫