・・・そのために、日本の看護婦の過労は、もっともっとどうにかされなければならないと思います。どこの病院でも、看護婦は不足です。結核療養所の看護婦が、過労していないという例は一つもありません。「病気と私」を読んだすべてのひとは、患者が床の上におとし・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・工場で働いても其はあまり愉快に働いたとも云えない。過労をする。空腹になる。しかもあなた方はどうぞ立派な少女となって下さいといういたわりが、世間の空気から感じられるというのでもなく生活して来たということは、今日の少女たちの総ての人が分け合って・・・ 宮本百合子 「美しく豊な生活へ」
・・・井上秀子女史が戦時中日本女子大学校長としてどのように熱心に戦争遂行に協力したかは当時の学生たちが、自分たちの経験した過労、栄養不良、勉学不能によって骨の髄まで知りつくしていることだろうと思う。そういう校長を絶対勢力として戴いて、どうして教育・・・ 宮本百合子 「女の手帖」
・・・日夜の過労の間に彼女の精神と肉体を支えている力は何であったろう。それは決して狭い愛国心とか敵愾心とかいうものではなかった。科学者としての自分の任務を、がらんとした研究所の机の前で自分に問うた時マリアの心に浮かんだものは、十年ばかり前のある日・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・、箇々別々に書いた感想はそのまま役に立たぬことが分り、七月下旬から八月一杯、私はすべて、ほかの仕事をことわって幼年時代から全く新しく書きはじめたのであったが、まだ健康がすっかり恢復していなかったため、過労になって、高熱をだし、九月と十月は休・・・ 宮本百合子 「「ゴーリキイ伝」の遅延について」
・・・更に、まだ全然社会化されていない日本家庭の家事の負担は、家庭の主婦を過労にさせているばかりか、すべての勤労婦人にとって二重の疲労をもたらしているのです。日本婦人大衆の生活の実状は、このようなものです。戦争による未亡人の生活確立に関して、植民・・・ 宮本百合子 「国際民婦連へのメッセージ」
・・・のち、地下活動中過労のため結核になって中野療養所で死去した。百合子の「小祝の一家」壺井栄「廊下」等は今野大力の一家の生活から取材されている。 七月十九日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より〕 七月十九日 日曜日 午後四・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・したがって私はどうしても家のことに手を出さずにはいられなく、そのため過労してパニックも生理的におこったのですが、よくよく考えて、もう余りつかれないようにしようと決心したので、この二三日は幾分ましです。 ペンさんはこの頃は一週一度にして居・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・小学校の先生の不足はこの二三年来到るところで云われている。八年制になると、先生の補給は、どうなるだろう。小学校の先生の過労も注目されて来ている。音楽の先生などは、これまでの殆ど倍の授業時間となるということをきいた。併合して教えるとするにして・・・ 宮本百合子 「国民学校への過程」
・・・そこにどんなむごい過労と悲しみと淋しさとはかない希望とがあったかを思い出しましょう。そのはかない希望が幾百万の女の胸の中で打砕かれたかというその事実を一つ一つ思い出しましょう。そして思い出したとき、苦労でかしこくなった日本の婦人の心にはどん・・・ 宮本百合子 「今度の選挙と婦人」
出典:青空文庫