・・・ 河合栄治郎氏が余程以前アメリカに留学しておられた時分、友人であった一人のロシア生れの女性が、非常によく両性の友人としての交際に訓練されていて、そのために氏は多くのことを学び、男と女との間に友情がまっとうされるためには守るべきいろいろの・・・ 宮本百合子 「異性の友情」
・・・ 真個の女の人が扮しているのだから、洋服でも、河合武雄の着る洋服ではない型と味いとを見たい。 斯様な印象の後に来たので、「邯鄲」は、随分、お伽噺的な愛らしさで、目に写った。巧くこなしたものだと思う。色彩の調和が、気の利いた「犬」の舞・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・ 二十二日 鶴見、河井、其他星野等と食事に招れる。 二十四日 雪降り。野中夫人に若松によばれる。おくれてミス コーフィルドに行き、グランパのことを話す。 二十五日 “Victory day” for New York Ci・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・中小商工業者の破滅とラジオ、新聞をふくむ文化、学問への抑圧はどれも一つ同じ原因から発している。河合栄治郎の公判記録が、『自由に死す』というパンフレットになって刊行された。彼のような穏当な学究さえも彼の理性が超国家主義と絶対主義に服従しないで・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・この探求と再認識との要求は、一九三六年の夥しい、青年論・恋愛論となって溢れた。河合栄治郎氏は教育者としての見地から、今日における大学教育、教授の学的確信の失墜と学生間に瀰漫している、あしき客観主義、人間的意欲の喪失について論じ、ヒューマニズ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ ○イースター後、春、殆ど初夏の五月 鶴見氏との交際 河合、ハザノブウィッチ。学校のインディアンダンス。静けさを求めあこがれる心持劇しい。 五月二十日 Lake George に立つ。 Lake George で。 ○店主・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(一)」
・・・ 読者は本年新年号の『改造』に載っていた河合栄治郎氏の「教育者に寄するの言」という論文を記憶しておられるであろうか。この論文で河合氏は進歩的な一人の教授としての立場から、現代若いインテリゲンツィアとしての学生の気質を詳細に観察して否定的・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムへの道」
・・・家老河合小太郎に大目附が陪席して申渡をした。「女性なれば別して御賞美あり、三右衛門の家名相続被仰附、宛行十四人扶持被下置、追て相応の者婿養子可被仰附、又近日中奥御目見可被仰附」と云うのである。 十一日にりよは中奥目見に出て、「御紋附・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ しかし奥様がどことなく萎れていらしって恍惚なすった御様子は、トント嬉かった昔を忍ぶとでもいいそうで、折ふしお膝の上へ乗せてお連になる若殿さま、これがまた見事に可愛い坊様なのを、ろくろくお愛しもなさらない塩梅、なぜだろうと子供心にも思いまし・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
・・・亡きわが児が可愛いのは何の理由もない、ただわけもなく可愛い。甘いものは甘い、辛いものは辛いというと同じように可愛い。ここまで育てて置いて亡くしたのは惜しかろうと言って同情してくれる人もあるが、そんな意味で惜しいなどという気持ちではない。また・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫