・・・椿岳の作品 が、画かき根性を脱していて、画料を貪るような卑しい心が微塵もなかった代りに、製作慾もまた薄かったようだ。アレだけの筆力も造詣もありながら割合に大作に乏しいのは畢竟芸術慾が風流心に禍いされたのであろう。椿岳を大ならしめたの・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・そうすると翌朝彼の起きない前に下女がやってきて、家の主人が起きる前にストーブに火をたきつけようと思って、ご承知のとおり西洋では紙をコッパの代りに用いてクベますから、何か好い反古はないかと思って調べたところが机の前に書いたものがだいぶひろがっ・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・さよ子は例の窓のところにきて、石の上に立ってのぞきますと、へやのようすにすこしも変わりがなかったけれど、大きなテーブルのそばのベッドの上には、年老った娘らの父親が横たわっていました。三人の娘らは、当時のように笑いもせずに、いずれも心配そうな・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・もし、芸術が真の発見であり、創意であり、作家の熱烈なる要求であることの代りに、通俗への合流に過ぎぬとしたら、何の教化ということもないでありましょう。 芸術は、凡俗生活に対する反抗からはじまったと見るべきが本当であります。今日の文化が、兎・・・ 小川未明 「作家としての問題」
・・・その代り秋末の肌寒さに、手足を蝦のように縮めて寝た。 周囲は鼾や歯軋の音ばかりで、いずれも昼の疲れに寝汚く睡りこんでいる。町を放れた場末の夜はひっそりとして、車一つ通らぬ。ただ海の鳴る音が宵に聞いたよりももの凄く聞える。私は体の休まると・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ 女は二十二三でもあろうか、目鼻立ちのパラリとした、色の白い愛嬌のある円顔、髪を太輪の銀杏返しに結って、伊勢崎の襟のかかった着物に、黒繻子と変り八反の昼夜帯、米琉の羽織を少し抜き衣紋に被っている。 男はキュウと盃を干して、「さあお光・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・と訊くから、何しろこんな、出水で到底渡れないから、こうして来たのだといいながら、ふと後を振返って見ると、出水どころか、道もからからに乾いて、橋の上も、平時と少しも変りがない、おやッ、こいつは一番やられたわいと、手にした折詰を見ると、こは如何・・・ 小山内薫 「今戸狐」
・・・そして、せっかく寄ったのだから汲ませていただきますと言って、汲み取った下肥えの代りに私を置いて行ったそうです。 汲み取った下肥えの代りに……とは、うっかり口がすべった洒落みたいなものですが、ここらが親譲りというのでしょう。父は疑っていた・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・大阪弁には変りはないのだが、文章が違うように、それぞれ他の人とは違って大阪弁を書いているのである。つまりそれだけ大阪弁は書きにくいということになるわけだが、同時にそれは大阪弁の変化の多さや、奥行きの深さ、間口の広さを証明していることになるの・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・「がその代り、注意人物が沢山居る。第一君なんか初めとしてね……」「馬鹿云っちゃ困るよ。僕なんかそりゃ健全なもんさ。唯貧乏してるというだけだよ。尤も君なんかの所謂警察眼なるものから見たら、何でもそう見えるんか知らんがね、これでも君、幾・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫