・・・ Mの声は常談らしい中にも多少の感慨を託していた。「どうだ、もう一ぺんはいって来ちゃ?」「あいつ一人ならばはいって来るがな。何しろ『ジンゲジ』も一しょじゃ、……」 僕等は前の「嫣然」のように彼等の一人に、――黒と黄との海水着・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・あれには樗牛が月夜か何かに、三保の松原の羽衣の松の下へ行って、大いに感慨悲慟するところがあった。あすこを読むと、どうも樗牛は、いい気になって流せる涙を、ふんだんに持ち合わせていたような心もちがする。あるいは持ち合わせていなくっても、文章の上・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・唯きょうまで知らなかった、妙に息苦しい感慨の漲って来るのを感じただけだった。番紅花の紅なるを咎むる勿れ。桂枝の匂へるを咎むる勿れ。されど我は悲しいかな。番紅花は余りに紅なり。桂枝は余りに匂ひ高し。 ソロモンは・・・ 芥川竜之介 「三つのなぜ」
・・・これが鴎外と款語した最後で、それから後は懸違って一度も会わなかったから、この一場の偶談は殊に感慨が深い。 私が鴎外と最も親しくしたのは小倉赴任前の古い時代であった。近時は鴎外とも疎縁となって、折々の会合で同席する位に過ぎなかったが、・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・『回外剰筆』の視力を失った過程を述ぶるにあたっても、多少の感慨を洩らしつつも女々しい繰言を繰り返さないで、かえって意気のますます軒昂たる本来の剛愎が仄見えておる。 全く自ら筆を操る事が出来なくなってからの口授作にも少しも意気消沈した痕が・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
二葉亭四迷の全集が完結してその追悼会が故人の友人に由て開かれたについて、全集編纂者の一人としてその遺編を整理した我らは今更に感慨の念に堪えない。二葉亭が一生自ら「文人に非ず」と称したについてはその内容の意味は種々あろうが、要するに、「・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・彼は、去年きた時分のことなどを思い出していろいろの感慨にふけりました。高山を一つ越えて、もうやがて向こうに海が見えようとするころでありました。かもめは、一羽のからすに出あいました。 からすはカーカーとなきながら、やはり里の方をさして飛ん・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・いまの児童の読物のあまりに杜撰なる、不真面目なる、そして調子の低きなどは、児童の人格を造る上に幾何の影響あるかを考えて、転た感慨なからざるを得ないのであります。 小川未明 「新童話論」
・・・と言った言葉を、僕はなぜか印象深く覚えているが、しかし二十二歳の時アンナカレーニナを読んでみたけれども、僕はそこからたのしみを得ただけで、人生かくの如しという感慨も、僕の人生が豊富になったという喜びも抱かなかった。恐らくこれは僕が若すぎたせ・・・ 織田作之助 「僕の読書法」
・・・お母さんは感慨めいた調子で言った。同姓間の家運の移り変りが、寺へ来てみると明瞭であった。 最後まで残った私と弟、妻の父、妻と娘たちとの六人は、停車場まで自動車で送られ、待合室で彼女たちと別れて、彼女たちとは反対の方角の二つ目の駅のOとい・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
出典:青空文庫