・・・あの人は五十ちかくなって軍医総監という重職にあった頃でも、宴会などに於いて無礼者に対しては敢然と腕力をふるったものだ。いや、記録にちゃんと残っています。くんづほぐれつの大格闘を演じたものだ。鴎外なおかくの如し。いわんや、古来の大人物は、すべ・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・ 彼の理論、ことに重力に関する新しい理論の実験的証左は、それがいずれも極めて機微なものであるだけにまだ極度まで完全に確定されたとは云われないかもしれない。しかし万一将来の実験や観測の結果が、彼の現在の理論に多少でも不利なような事があった・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 道太はその日も、しばらくそばについていたが、山にいた時からみると、意識はほとんど完全に恢復されていた。「今どこにいるんだ」兄は道太に尋ねたりした。「ええちょっと人を避けているんで」道太は笑いながら答えた。 道太はここにいて・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・日本のような貧乏な国ではいかに思想上価値があるからとてもしワグナアの如き楽劇一曲をやや完全に演ぜんなぞと思立たば米や塩にまで重税を課して人民どもに塗炭の苦しみをさせねばならぬような事が起るかも知れぬ。しかしそれはまずそれとして何もそんなに心・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・即ち忠臣貞女とかいうが如きものを完全なものとして孝子は親の事、忠臣は君の事、貞女は夫の事をばかり考えていた。誠にえらいものである。その原因は科学的精神が乏しかったためで、その理想を批評せず吟味せずにこれを行って行ったというのである。また昔は・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・また社会一般から云うと、すでにこういう風な模範的な間然するところなき忠臣孝子貞女を押し立てて、それらの存在を認めるくらいだから、個人に対する一般の倫理上の要求はずいぶん苛酷なものである。また個人の過失に対しては非常に厳格な態度をもっている。・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・読者はそれに従って、注意深く、含まれたる凡てに目を注ぐならば、あたかも自分が見出した如く完全に証明せられ、理解せられる方法である。綜合というのは、これに反し定義、要請、公理等の過程によって結論を証明する、いわゆる幾何学的方法である。而して彼・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・によつて自由に完全に装幀することができるであらう。かくてこそ書物の著者は、正に読者の生活に「活き得た」のではないか。その各の人の装幀の価値に応じて、より浅く、またより深く、より自己に近く、また自己に遠く。・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・ 彼はベルの中絶した時に、導火線に完全に火を移し了えはした。 然し、彼が、痛いのは腰だ、と思っていたのに、川上の捲上線に伝って登り始めるのと、カッキリ同時に、その腰の痛みが上の方に上って来るのを覚えた。 彼は、駈けていた積りであ・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・元来人の子に教を授けて之を完全に養育するは、病人に薬を服用せしめて其薬に適宜の分量あるが如し。既に其分量を誤るときは良薬も却て害を為す可し。左れば父母が其子を養育するに、仮令い教訓の趣意は美なりとするも、女子なるが故にとて特に之を厳にするは・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
出典:青空文庫