・・・ 十一 赤いカンナが色々咲いている。文字で書けば朱とか紅とかいうだけであるが、種類によってその赤い色がことごとくちがう。よく見ると花ばかりでなくそれぞれの葉の色も少しずつ違う。それが普通にはみんな赤いカンナと・・・ 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・何と読むのか、プログラムに仮名付けがないから分らない。説明書によるとこの曲はもと天竺の楽で、舞は本朝で作ったとのことである。蘇莫者の事は六波羅密経に詳しく書いてある。聖徳太子が四十三歳の時に信貴山で洞簫を吹いていたら、山神が感に堪えなくなっ・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・秋草などのある広場へ出てみると、カンナや朝貌が咲きそろって綺麗だった。いつもとはちがってその時は人影というものがほとんど見えなくて、ただ片隅のベンチに印半纏の男が一人ねそべっているだけであった。木立の向うにはいろいろの色彩をした建築がまとも・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・夏中ぽつりぽつり咲いていたカンナが、今頃になって一時に満開の壮観を呈している。何とか云う名の洋紅色大輪のカンナも美しいが、しかし札幌円山公園の奥の草花園で見た鎗鶏頭の鮮紅色には及ばない。彼地の花の色は降霜に近づくほど次第に冴えて美しくなるそ・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・ 最後に刈り残された庭の片すみのカンナの葉陰に、一きわ濃く茂った部分を刈っていた長女は、そこで妙なものを発見したと言って持って来た。子供の指先ぐらいの大きさをした何かの卵であった。つまんで見ると殻は柔らかくてぶよぶよしていた。一つ鋏にか・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・この巣のすぐ向う側に真紅のカンナの花が咲き乱れているのがいっそう蜂の巣をみじめなものに見せるようであった。 私はともかくこの巣を来年の夏までこのままそっとしておこうと思っている。来年になったらこの古い巣に、もしや何事か起りはしないかとい・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・つい先日バラの苗やカンナの球根を注文するために目録を調べたときに所在をたしかめておいた某農園がここだと分かった。つまらない「発見」であるが、文字だけで得た知識に相当する実物にめぐり合うことの喜びは、大小の差はあっても質は同じようなものらしい・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・一国の伝統にして戦争によって終局を告げたものも、仮名づかいの変化の如きを初めとして、その例を挙げたら二、三に止まらぬであろう。昭和廿二年二月 ○ 市川の町を歩いている時、わたくしは折々四、五十年前、電車も自・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・稽古本で見馴れた仮名より外には何にも読めない明盲目である。この社会の人の持っている諸有る迷信と僻見と虚偽と不健康とを一つ残らず遺伝的に譲り受けている。お召の縞柄を論ずるには委しいけれど、電車に乗って新しい都会を一人歩きする事なぞは今だに出来・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ことに字違いや仮名違いが目についた。それから感情の現わし方がいかにも露骨でありながら一種の型にはいっているという意味で誠がかえって出ていないようにもみえた。最も恐るべくへたな恋の都々一なども遠慮なく引用してあった。すべてを総合して、書き手の・・・ 夏目漱石 「手紙」
出典:青空文庫