・・・処が其大将の漢文たるや甚だまずいもので、新聞の論説の仮名を抜いた様なものであった。けれども詩になると彼は僕よりも沢山作って居り平仄も沢山知って居る。僕のは整わんが、彼のは整って居る。漢文は僕の方に自信があったが、詩は彼の方が旨かった。尤も今・・・ 夏目漱石 「正岡子規」
・・・能代の膳には、徳利が袴をはいて、児戯みたいな香味の皿と、木皿に散蓮華が添えて置いてあッて、猪口の黄金水には、桜花の弁が二枚散ッた画と、端に吉里と仮名で書いたのが、浮いているかのように見える。 膳と斜めに、ぼんやり箪笥にもたれている吉里に・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ゆえに、最初エビシを学ぶときより、我が、いろはを習い、次第に仮名本を読み、ようやく漢文の書にも慣れ、字の数を多く知ること肝要なり。一、幼年の者へは漢学を先にして、後に洋学に入らしむるの説もあれども、漢字を知るはさまで難事にあらず、よく順・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・と仮名で書いてある。その次のは「さけ」とあるらしいが縄暖簾の陰になって居て分らぬ。その次のには「なべ」と書いてあって、最も左の端の障子には蛤の画が二つ書いてある。「蛤」「なべ」という順序であるべきのが「なべ」「蛤」と逆になって居るので不思議・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・楷書いや。仮名は猶更。〔『ホトトギス』第二巻第十二号 明治32・9・10〕 正岡子規 「墓」
・・・現代の読者にとってそれは不必要な重荷であるから、この選集に収録するにあたって、漢字をだいぶ仮名になおした。文章そのものはもとのままである。 一九四八年九月〔一九四八年十二月〕・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・一太は、小学校へ一年行ったぎりで仮名も碌に知らなかった。雑誌などなかったから、一太は寝転んだまま、小声で唐紙を読んだ。さっきも云った隣との区切りの唐紙が、普通の襖紙で貼ってなく、新聞の附録の古くさい美人画や新聞や、そこらに落こちていた雑誌の・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・米国の箇人的教育は、各種の箇性を重んじながら、其の功利主義の伝統的暗示、或は宣伝に依て、箇人的気質が、公衆の不文律に順応して行ける程度の寛和、或は弛緩を加えて居ります。従って、群集の各人は、箇性の力に明かな局限を認める事に馴れ、其の局限の此・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・そして、帝国主義というものの矛盾としてあらわれるそのような二枚刃のカンナの削り作業に対して、異議をとなえる意見や発言の限界は、「君たちは話すことができる」一九四六年ごろとは非常に変って来た。 これらの変化のあるものは、厚かましい公然さで・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・ 辞典類をかきなれないものですから、よみかえしてみると、これ一つで一つの文学史になってしまっているので、大いにカンナをかけ縮少いたしました。大体百二十行以上けずりました。これでまあすこしはものになりましょうか。 よろしくお願いいたし・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
出典:青空文庫