・・・ 和歌は勿論堪能の人であった。連歌はさまで心を入れたでもなかろうが、それでも緒余としてその道を得ていた。法橋紹巴は当時の連歌の大宗匠であった。しかし長頭丸が植通公を訪うた時、この頃何かの世間話があったかと尋ねられたのに答えて、「聚落の安・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・人間の官能を悉知している。けれども僕は、断じて肉体万能論者ではない。バザロフなんて、甘いものさ。精神が、信仰が、人間の万事を決する。僕は、聖母受胎をさえ、そのまま素直に信じている。そのために、科学者としての僕が、破産したって、かまわない。僕・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・伏目につつましく控えている碧い神経質な鋭い目も、官能的な桜桃色の唇も相当なものである。肌理の細かい女のような皮膚の下から綺麗な血の色が、薔薇色に透いて見える。黒褐色の服に雪白の襟と袖口。濃い藍色の絹のマントをシックに羽織っている。この画は伊・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・ 五官のほかにある別種の官能の力が加わったかと思った。暗かった室がそれとはっきり見える。暗色の壁に添うて高いテーブルが置いてある。上に白いのは確かに紙だ。ガラス窓の半分が破れていて、星がきらきらと大空にきらめいているのが認められた。右の・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・映画の場合でも、官能の窓から入り込む生理的刺激が一度心理的に翻訳された後にさらにそれが生理的に反応する例も少なくないようである。最も卑近な例をあげると、スクリーンの上にコーヒーを飲む場面が映写されるのを見て急に自分もコーヒーが飲みたくなるよ・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・科学はたよりない人間の官能から独立した「科学的客観的人間」の所得となって永遠の落ちつき所に安置されたようにも見える。 われわれ「生理的主観的人間」は目も耳も指も切り取って、あらゆる外界との出入り口をふさいで、そうして、ただ、生きているこ・・・ 寺田寅彦 「感覚と科学」
・・・西洋音楽は自分では分らないと云っていたが、音楽に堪能な令息恭雄氏の話によると相当な批判力をもっていたそうである。 運動で鍛えた身体であったが、中年の頃赤痢にかかってから不断腸の工合が悪かった。留学中など始終これで苦しみ通していた。そのせ・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・ 宗教は往々人を酩酊させ官能と理性を麻痺させる点で酒に似ている。そうして、コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。酒や宗教で人を殺すものは多いがコーヒーや哲学に酔うて犯罪をあえてする・・・ 寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」
・・・ オットセイは鼻の頭で鞠をつく芸当に堪能である。あれはこの動物にとっては全く飼主の曲馬師から褒美の鮮魚一尾を貰うための労役に過ぎないであろうが、娯楽のために入場券を買ってはいった観客の眼には立派な一つの球技として観賞されるであろう。不思・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・そういう、鳥にとってはおそらく生れて以来かつて経験した事のない異常な官能行使の要求に応じるに忙しくて、身に迫る危険を自覚し、そうして逃走の第一歩を踏出すだけの余裕もきっかけもないのであろう。ともかくも運命の環は急加速度で縮まって行って、いよ・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
出典:青空文庫