・・・従って、彼は彼等に対しても、終始寛容の態度を改めなかった。まして、復讐の事の成った今になって見れば、彼等に与う可きものは、ただ憫笑が残っているだけである。それを世間は、殺しても猶飽き足らないように、思っているらしい。何故我々を忠義の士とする・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・この態度を急変するのは治修の慣用手段の一つである。三右衛門はやはり目を伏せたまま、やっと噤んでいた口を開いた。しかしその口を洩れた言葉は「なぜ」に対する答ではない。意外にも甚だ悄然とした、罪を謝する言葉である。「あたら御役に立つ侍を一人・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・したがって小さい時から孤独でひとりで立っていかなければならなかったのと、父その人があまり正直であるため、しばしば人の欺くところとなった苦い経験があるのとで、人に欺かれないために、人に対して寛容でない偏狭な所があった。これは境遇と性質とから来・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・そうしてその時は、私が詩作上に慣用した空想化の手続が、私のあらゆることに対する態度を侵していた時であった。空想化することなしには何事も考えられぬようになっていた。 象徴詩という言葉が、そのころ初めて日本の詩壇に伝えられた。私も「吾々の詩・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ が、この不しだらな夫人のために泥を塗られても少しも平時の沈着を喪わないで穏便に済まし、恩を仇で報ゆるに等しいYの不埒をさえも寛容して、諄々と訓誡した上に帰国の旅費まで恵み、あまつさえ自分に罪を犯した不義者を心から悔悛めさせるための修養・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれどもまた多少一般の人生問題を論究せざるにあらず、これけだし余の親友京都便利堂主人がしいてこれを発刊せしゆえなるべし、読者の寛容を待つ。 明治三十年六月二十日東京青山において・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・ 何を措いても児童たちに、理想社会の全貌を彷彿させることが肝要であり、また芸術や、教育の任務でなければなりません。そして、児童の読物に於ては、誤れる現実の喜悲を清算して、真にこれを感じて尊重しなければならぬ人類の名誉、幸福のいかなるもの・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・相手の異性をよく見わけることは何より肝要なことだ。恋してからは目が狂いがちだから、恋するまでに自分の発情を慎しんで知性を働らかせなければならぬ。よほどのロマンチストでない限り、一と目で恋には落ちぬ。二た目でそれほどでないと思えば憧憬は冷却す・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・という決意は人間的にも肝要なものである。またそれとともに、職能というものは真摯にラディカルに従事して行けば、必ず人生哲学的な根本問題に接触してくるものである。医者は生と、精神の課題に、弁護士は倫理と社会制度の問題に、軍人は民族と国際協同の問・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・私に肝要なものは、余生を保障するような金よりも強い足腰の骨であった。 大きくなった子供らと一緒に働くことの新しいよろこび、その考えはどうにか男親の手一つで四人のちいさなものを育てて来た私にふさわしく思われた。私は自分の身につけるよりも、・・・ 島崎藤村 「分配」
出典:青空文庫