・・・喜三郎は看病の傍、ひたすら諸々の仏神に甚太夫の快方を祈願した。病人も夜長の枕元に薬を煮る煙を嗅ぎながら、多年の本望を遂げるまでは、どうかして生きていたいと念じていた。 秋は益深くなった。喜三郎は蘭袋の家へ薬を取りに行く途中、群を成した水・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・それが一つには帰雁とあり、一つには二とあったそうじゃ。合せて読めば帰雁二となる、――こんな事が嬉しいのか、康頼は翌日得々と、おれにもその葉を見せなぞした。成程二とは読めぬでもない。が、帰雁はいかにも無理じゃ。おれは余り可笑しかったから、次の・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・お産の祈願をしたものが、礼詣りに供うるので、すなわち活きたままの絵馬である。胸に抱いたのも、膝に据えたのも、中には背に負したまま、両の掌を合せたのもある。が、胸をはだけたり、乳房を含ませたりしたのは、さすがにないから、何も蔽わず、写真はあか・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・それでも三人はすこぶる真面目に祈願をこめて再び池の囲りを駆け廻りつつ愉快に愉快にとうとう日も横日になった。 十一 東金町の中ほどから北後ろの岡へ、少しく経上がった所に一区をなせる勝地がある。三方岡を囲らし、厚硝子の・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・しかし神はモーセの祈願を聴きたまいしがごとくにダルガスの心の叫びをも聴きたまいました。黙示は今度は彼に臨まずして彼の子に臨みました、彼の長男をフレデリック・ダルガスといいました。彼は父の質を受けて善き植物学者でありました。彼は樅の成長につい・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・という彼の祈願は名利や、衒学のためではなくして、全く自ら正しくし、世を正しくするための必要から発したものであった。 善とは何か、禍いの源は何か、真理の標識は何か。すべての偉人の問いがそれに帰宗するように、日蓮もまたそれを問い、その解決の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ われわれは生の探求に発足した青年に、永遠の真理の把握と人間完成とを志向せしめようと祈願するとき、彼らがいずれはその理性知を揚棄せねばならぬことを注意せざるを得ず、またその読者の選択を合理的知性に対応する方向のみに向けしむることは衷心か・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・伝説に依ると、水内郡荻原に、伊藤豊前守忠縄というものがあって、後堀河天皇の天福元年(四条天皇の元年で、北条泰時にこの山へ上って穀食を絶ち、何の神か不明だがその神意を受けて祈願を凝らしたとある。穀食を絶っても食える土があったから辛防出来たろう・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 大君の辺にこそ、とは日本のひと全部の、ひそかな祈願の筈である。さして行く笠置の山、と仰せられては、藤原季房ならずとも、泣き伏すにきまっている。あまりの事に、はにかんで、言えないだけなのである。わかり切った事である。鳴かぬ蛍は、何とかと・・・ 太宰治 「一燈」
・・・いまの女の子たちは、この七夕祭に、決して自分勝手のわがままな祈願をしているのではない。清純な祈りであると思った。私は、なんどもなんども色紙の文字を読みかえした。すぐに立ち去る事は出来なかった。この祈願、かならず織女星にとどくと思った。祈りは・・・ 太宰治 「作家の手帖」
出典:青空文庫