・・・何しろ萩寺と云えば、その頃はまだ仁王門も藁葺屋根で、『ぬれて行く人もをかしや雨の萩』と云う芭蕉翁の名高い句碑が萩の中に残っている、いかにも風雅な所でしたから、実際才子佳人の奇遇には誂え向きの舞台だったのに違いありません。しかしあの外出する時・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・ まあ、体裁の上では小品ですが、――編輯者 「奇遇」と云う題ですね。どんな事を書いたのですか?小説家 ちょいと読んで見ましょうか? 二十分ばかりかかれば読めますから、―― × × ・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・かつ在官者よりも自由であって、大抵操觚に長じていたから、矢野龍渓の『経国美談』、末広鉄腸の『雪中梅』、東海散士の『佳人之奇遇』を先駈として文芸の著述を競争し、一時は小説を著わさないものは文明政治家でないような観があった。一つは憲法発布が約束・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・「しかし、奇遇でしたね」 と、思わず白崎は言った。「――おかげで退屈しないで済みました。汽車の旅って奴は、誰とでもいい、道連れはないよりあった方がいいもんですなア。どんないやな奴でも、道連れがいないよりあった方がいい」「あら・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
・・・明治初年の、佳人之奇遇、経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香、森田思軒などの、飜訳物をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白いなあ、うまいなあ、・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・森ちゃんは高円寺の、叔母の家に寄寓。会社から帰ると、女中がわりに立ち働く。 鶴の姉は、三鷹の小さい肉屋に嫁いでいる。あそこの家の二階が二間。 鶴はその日、森ちゃんを吉祥寺駅まで送って、森ちゃんには高円寺行きの切符を、自分は三鷹行きの・・・ 太宰治 「犯人」
・・・明治初年の、佳人之奇遇、経国美談などを、古本屋から捜して来て、ひとりで、くすくす笑いながら読んでいる。黒岩涙香、森田思軒などの飜訳をも、好んで読む。どこから手に入れて来るのか、名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて、面白いなあ、うまいなあ、と真・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・「佳人之奇遇」のごとき、当時では最も西洋臭くて清新と考えられたものを愛読し暗唱した。それ以前から先輩の読み物であった坪内氏の「当世書生気質」なども当時の田舎の中学生にはやはり一つの新しい夢を吹き込むものであった。宮崎湖処子の「帰省」という本・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・「佳人の奇遇」の第一ページを暗唱しているものの中に自分もいたわけである。 宮崎湖処子の「帰省」が現われたとき当時の中学生は驚いた。尋常一様な現実の生活の描写が立派な文学でありうるのみか、あらゆる在来の文学中に求め得られない新鮮な美しさを・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・と立っている丸髷はいかにもこの奇遇に驚いたらしく言葉をきる。「五年ぶり……もっとになるかも知れませんわね。よし子さん。」「ほんとに……あの、藤村さんの御宅で校友会のあったあの時お目にかかったきりでしたねえ。」 電車がやっと動き始・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫