・・・露地を入って右側の五軒長屋の二軒目、そこが阿久の家で、即ち私の寄寓する家である。阿久はもと下谷の芸者で、廃めてから私の世話になって二年の後、型ばかりの式を行って内縁の妻となったのである。右隣りが電話のボタンを拵える職人、左隣がブリキ職。ブリ・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・馬琴春水の物や、『春雨物語』、『佳人の奇遇』のような小説類は沢山あったが、硯友社作家の新刊物は一冊もなかった。わたくしが中学生の頃初め漢詩を学びその後近代の文学に志を向けかけた頃、友人井上唖々子が『今戸心中』所載の『文芸倶楽部』と、緑雨の『・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・しかも、これらは、いずれも馬籠の父の家と親類にあたる家か、さもなければ先輩・知人の家で、少年藤村は謂わば寄寓の身の上であった。「生い立ちの記」をよんで見ると、国を出る迄末息子としての藤村が、お牧という専属の下女にかしずかれ、情愛の深い太助爺・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・「佳人之奇遇」「雪中梅」等の筆者達は、福沢諭吉を新時代の大選手として、急テンポに欧化し、資本主義化しなければならなかった当時の日本の社会感情の先達となった。自由民権の云われた時代の作物が、今日なお面白く、或る気魄によって読ませるのは、筆者の・・・ 宮本百合子 「文学における今日の日本的なるもの」
出典:青空文庫