・・・そこではあらゆる文学上の原理に反して、作品の基礎をなすものは、諸々の情熱の機構でも、出来事の必然的な継続でもなく、裸形にされた純粋の偶然というものなのである。此の喜劇を読んでゆくと、秩序も構図もなく寄せ集められた「雑多な事実」に満ちている新・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・さて今回本紙に左の題材にて貴下の御寄稿をお願い致したく御多忙中恐縮ながら左記条項お含みの上何卒御承引のほどお願い申上げます。一、締切は十二月十五日。一、分量は、四百字詰原稿十枚。一、題材は、春の幽霊について、コント。寸志、一枚八円にて何卒。・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ たまに新聞社から、随筆の寄稿をたのまれ、勇奮して取りかかるのであるが、これも駄目、あれも駄目と破り捨て、たかだか十枚前後の原稿に、三日も四日も沈吟している。流石、と読者に膝を打たせるほどの光った随筆を書きたい様子なのである。あまり沈吟・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・質屋というものの存在、機構を知ったのだ。どうしてもその着物を母のお目に掛けなければならぬ窮地におちいった時には、苦心してお金を都合して兄に手渡す。勝治は、オーライなどと言って、のっそり家を出る。着物を抱えてすぐに帰って来る事もあれば、深夜、・・・ 太宰治 「花火」
・・・今月、そろそろ、牧水全集のうちの、紀行文を読みはじめていた。フィリップの「小さき町にて。」を恵与されたのは、そのころのことであった。読んでみようと思った。読了して、さらに再読しようと思った。淀野隆三の文章は、たしかに綺麗で、おっとりした気品・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
・・・知識欲が丸でなくて、紀行文を書くなんと云うことに興味を有せない身にとっては、余り馬鹿らしい。 こう考えた末、ポルジイは今時の貴族の青年も、偉大なる恋愛のためには、いかなる犠牲をも辞せないと云うことを証明するに至った。ポルジイは始て思索を・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・いわゆる案内記の無味乾燥なのに反してすぐれた文学者の自由な紀行文やあるいは鋭い科学者のまとまらない観察記は、それがいかに狭い範囲の題材に限られていても、その中に躍動している生きた体験から流露するあるものは、直接に読者の胸にしみ込む、そしてた・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・真偽は知らないが色々な奇行も伝えられた。日本にたった二つとか三つとかしかない珍しい標本をいくつか持っているという自慢を聞かされない学生はなかったようである。服装なども無頓着であったらしく、よれよれの和服の着流しで町を歩いている恰好などちょっ・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・不幸にして現在の録音機と発声マイクロフォンとはその機巧のいまだ不完全なために、あらゆる雑音の忠実な再現に成功していない。それで、盲者が、話し声の反響で室の広さを判断しうるような微妙な音色の差別を再現することはまだできないのであるが、それにも・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・やはり、音の生成機巧に共通なところがあるからであろう。すなわち、浜べで無数の砂利が相打ち相きしるように無数の蝗の羽根が轢音を発している、その集団的効果があのように聞こえるのではないかと思われる。そういえば丸鋸で材木をひく時にもこれに似た不規・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫