・・・汚れをいとわないとか、古くさい結婚の形にしばられない感情の冒険とかいうことの現実をみると、結局は社会の経済生活の崩壊による女性の男への寄生的生活の合理化であり、広汎な売娼生活の合理化だということが分ります。 五 人民的・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・の谷間まであふれてゆかなければならない段階にきていると信じます。既成文化の否定から、新しい文化の具体的な誕生による肯定の面へまででてゆかずにはいられない人間的な欲求があるのです。 中国での人民革命の成功は、一部の人々を性急にしています。・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・衣、食、住、愛憎の主題に戻って、今日の出版物の多くを眺めると、戦争が社会の安定を破壊し、個々の人の物質と精神のよりどころを粉砕した、その乱脈ぶりと、傷口とが、まざまざ反映している。既成の文学のなかで、愛憎の問題は、人間の発展のモメントとして・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・術運動の擡頭しはじめた日本の新しい社会と文学の動揺のなかに、各自の発展の道を求めなければならなかったのであったが、これらの人々がこんにち自身をおいている状態からみても一目瞭然であるとおり、誰もが自身の既成文壇においての地位を肯定し、個人的な・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)」
・・・の主人公は少年であるけれども、どうしてあの小説が既成の社会通念――大人の世界のものの考えかたの俗悪な形式主義への抗議でないといえよう。 デュガールの「チボー家の人々」が、一九三〇年代より四〇年代の若い人々にとって、特に意味をもっているわ・・・ 宮本百合子 「生きつつある自意識」
・・・文学が、これからますます人民の歴史を語るものになろうとしているとき、文学者は既成の「文学」の枠内で、新らしい骨格を養うことは、ほとんど絶対に不可能である。文章の上からだけいっても社会科学の用語が、小説のなかの生きた言葉になりつつある。生活の・・・ 宮本百合子 「生きている古典」
・・・婦人代議士たちは代議士になってみて、今更切実に、既成政党が婦人代議士に求めていたものは、宣伝の色どりであって、実質的な政治への参加でもなければ、婦人の社会的、政治的成長でもなかったことを知らされているのである。婦人代議士の質が低いためばかり・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・それからの脱出として、既成の作家たちは、まじめに自分の人および芸術家としてのよりどころを、なにか新らしい力づよい情熱の上に発見しようとし、戦争をその契機としてつかもうとし、なにか新らしい文学ジャンルの開拓によって、たとえば報道文学、国民文学・・・ 宮本百合子 「歌声よ、おこれ」
・・・ この間中、田舎に行っていたうち何かで、或る作家が、女性の作品はどうしても拵えもので、千代紙のようでなければ、直に或る既成の哲学的概念に順応して行こうとする傾向がある、と云うような意味の話をされた事を読んだ。 これは新しい評言ではな・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・てそれととり組み、そこに手がかりを見出し、ほんのちょっとでもこの現実をましな方に向けるような意志をもって生きて行く、それが生であり『集団行進』が人間のそのような喜び、悲しみ、憤りを盛っているからこそ、既成の所謂歌壇に対し特異な価値を主張し得・・・ 宮本百合子 「歌集『集団行進』に寄せて」
出典:青空文庫