・・・昭和の大棋戦だと、主催者の読売新聞も宣伝した。ところが、坂田はこの対局で「阿呆な将棋をさして」負けたのである。角という大駒一枚落しても、大丈夫勝つ自信を持っていた坂田が、平手で二局とも惨敗したのである。 坂田の名文句として伝わる言葉に「・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ ところが、南禅寺でのその対局をすませていったん大阪へ引きあげた坂田は、それから一月余りのち、再び京都へ出て来て、昭和の大棋戦と喧伝された対木村、花田の二局のうち、残る一局の対花田戦の対局を天龍寺の大書院で開始した。私は坂田はもう出て来・・・ 織田作之助 「勝負師」
・・・やはりいい天気であった。汽船との連絡の待合室で顔を洗い、そこの畳を敷いた部屋にはいって朝の弁当をたべた。乗替えの奥羽線の出るのは九時だった。「それではいよいよ第一公式で繰りだしますか?」「まあ袴だけにしておこうよ。あまり改った風なぞ・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ぼんやりした燈りを睡むそうに提げている百噸あまりの汽船のともの方から、見えない声が不明瞭になにか答えている。それは重々しいバスである。「いないのかよう。××さんは」 それはこの港に船の男を相手に媚を売っている女らしく思える。私はその・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・山の端削りて道路開かれ、源叔父が家の前には今の車道でき、朝夕二度に汽船の笛鳴りつ、昔は網だに干さぬ荒磯はたちまち今の様と変わりぬ。されど源叔父が渡船の業は昔のままなり。浦人島人乗せて城下に往来すること、前に変わらず、港開けて車道でき人通り繁・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・大阪から例の瀬戸内通いの汽船に乗って春海波平らかな内海を航するのであるが、ほとんど一昔も前の事であるから、僕もその時の乗合の客がどんな人であったやら、船長がどんな男であったやら、茶菓を運ぶボーイの顔がどんなであったやら、そんなことは少しも憶・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・冬籠もりをした汽船は、水上にぬぎ忘れられた片足の下駄のように、氷に張り閉されてしまった。 舷側の水かきは、泥濘に踏みこんで、二進も三進も行かなくなった五光のようだった。つい、四五日前まで船に乗って渡っていた、その河の上を、二頭立の馬に引・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・しかし汽車に乗って丸亀や坂出の方へ行き一日歩きくたぶれて夕方汽船で小豆島へ帰ってくると、やっぱり安息はここにあるという気がしてくる。四季その折々の風物の移り変りと、村の年中行事を、その時々にたのしめるようになったのは、私には、まだ、この二三・・・ 黒島伝治 「四季とその折々」
・・・で、鉄道や汽船の勢力が如何なる海陬山村にも文明の威光を伝える為に、旅客は何の苦なしに懐手で家を飛出して、そして鼻歌で帰って来られるようになりました。其の代りに、つい二三十年前のような詩的の旅行は自然と無くなったと申して宜しい、イヤ仕様といっ・・・ 幸田露伴 「旅行の今昔」
・・・私は平和主義者なので、きのうも十畳の部屋のまんなかに、一人あぐらをかいて坐って、あたりをきょろきょろ見まわしていましたが、部屋の隅がはっきりわかって、人間、けんかの弱いほど困ることがない。汽船荷一。」「おくるしみの御様子、みんなみんな、・・・ 太宰治 「虚構の春」
出典:青空文庫