・・・土下座せんばかりの母親の挨拶などに対しても、父は監督に対すると同時に厳格な態度を見せて、やおら靴を脱ぎ捨てると、自分の設計で建て上げた座敷にとおって、洋服のままきちんと囲炉裡の横座にすわった。そして眼鏡をはずす間もなく、両手を顔にあてて、下・・・ 有島武郎 「親子」
・・・芸術家の尊厳を失うほどきちんと片づけちゃだめだよ。美的にそこいらを散らかすのを忘れちゃいかんぜ。そこで俺はと……俺はドモ又をドモ又の弟に仕立て上げる役目にまわるから……おまえの画はたいてい隣の部屋にあるんだろう。これはおまえんだ。これもこれ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・ あるじは、きちんと坐り直って、「どうしたの、酷く怯えたようだっけ。」「夢を見たかい、坊や、どうしたのだねえ。」 と頬に顔をかさぬれば、乳を含みつつ、愛らしい、大きな目をくるくるとやって、「鼬が、阿母さん。」「ええ、・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ついたしなみも粗末になって、下じめも解けかかれば、帯も緩くなる。きちんとしていてさえざっとこの趣。……遊山旅籠、温泉宿などで寝衣、浴衣に、扱帯、伊達巻一つの時の様子は、ほぼ……お互に、しなくっても可いが想像が出来る。膚を左右に揉む拍子に、い・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・ 笛吹は、こまかい薩摩の紺絣の単衣に、かりものの扱帯をしめていたのが、博多を取って、きちんと貝の口にしめ直し、横縁の障子を開いて、御社に。――一座退って、女二人も、慎み深く、手をつかえて、ぬかずいた。 栗鼠が仰向けにひっくりかえ・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・それへ向って二町ばかり、城の大手を右に見て、左へ折れた、屋並の揃った町の中ほどに、きちんとして暮しているはず。 その男を訪ねるに仔細はないが、訪ねて行くのに、十年越の思出がある、……まあ、もう少し秘して置こう。 さあ、其処へ、となる・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・おとよさんは何もかもきちんとした人だ。おいらなどよりもよほど大人だもの。おれを思ってるなんてうそだ。うそだ、うそに違いない。第一本当であったらおとよさんは見掛けによらず不埒な女郎だ。いやそんなことがあるもんか。うそだ。うそだうそだと心で言う・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・たとえば、お母さんに頼んだことを、きちんとしてもらいたいとか、また、他の教養あるお母さんのように、話が分ってほしいとか、もっと様子を綺麗にしてもらいたいとか、言葉使いなど上品にしてもらいたいとか、恐らく、この種のものでしたら、多々あることで・・・ 小川未明 「お母さんは僕達の太陽」
・・・ 五尺八寸、十三貫、すなわち痩せているせいで暑さに強い私は、裸で夜をすごすということは余りなく、どんなに暑くてもきちんと浴衣をきて、机の前に坐っているのだが、八月にはいって間もなくの夜明けには、もう浴衣では肌寒い。ひとびとが宵の寝苦しい・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・治療してもらっているのはどこかの奥さんらしくアッパッパを着て、スリッパをはいた両足をきちんと揃えて、仰向いています。何か日々の営みのなつかしさを想わせるような風情でした。私はふと濡れるような旅情を感ずると、にわかに生への執着が甦ってきました・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫