・・・卑屈の克服からでは無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前例の無い見事な花の咲くことを、私は祈念しています。 太宰治 「自信の無さ」
・・・残燈滅して又明らかの希望を以て武術の妙訣を感得仕るよう不断精進の所存に御座候えば、卿等わかき後輩も、老生のこのたびの浅慮の覆轍をいささか後輪の戒となし給い、いよいよ身心の練磨に努めて決して負け給うな。祈念。・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・その家の食堂には、漫遊の記念品が飾ってある。小役人の家の食堂とは思われない。主人チルナウエルは客にこんな事を言う。「わたくしがラホレのマハラジャの宮殿にいました時の事ですが」なんと云う。昔話をするのか、大法螺を吹くのかと思われるのである。と・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・と云って、「あなたにお目に掛かった記念にしますから、二十マルクを一つ下さいな」と云ったっけ。 ホテルに帰ったのは、午前六時であった。自動車のテクサメエトルを見たら五の所に針が行っていた。それをどう云うものだか、ショッフヨオルの先生が十二・・・ 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
・・・この謎のような言葉の解釈を彼自身の口から聞く事の出来る日が来れば、それは物理学の歴史でおそらく最も記念すべき日の一つになるかもしれない。 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・これも恐ろしい数ある記念の一つである。蟻、やすで、むかで、げじげじ、みみず、小蛇、地蟲、はさみ蟲、冬の住家に眠って居たさまざまな蟲けらは、朽ちた井戸側の間から、ぞろぞろ、ぬるぬる、うごめき出し、木枯の寒い風にのたうち廻って、その場に生白い腹・・・ 永井荷風 「狐」
・・・そのほかにカーライルの八十の誕生日の記念のために鋳たという銀牌と銅牌がある。金牌は一つもなかったようだ。すべての牌と名のつくものがむやみにかちかちしていつまでも平気に残っているのを、もろうた者の煙のごとき寿命と対照して考えると妙な感じがする・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・尊き銘は剣にこそ彫れ、抜き放ちたる光の裏に遠吠ゆる狼を屠らしめたまえとありとあらゆるセイントに夜鴉の城主が祈念を凝したるも事実である。両家の間の戦は到底免かれない。いつというだけが問題である。 末の世の尽きて、その末の世の残るまでと誓い・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・飛び込んでからだんだん事情を聞いたときにこんどこそはこの二人の少女、ではない我輩より三寸ばかり背いの高い女に成功あらしめたまえと私かに祈念を凝らした。誰れに祈念を凝らしたと聞かれると少々困る。祈るべき神に交際の無い拙者だから、ただあてどもな・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ただ余の出立の朝、君は篋底を探りて一束の草稿を持ち来りて、亡児の終焉記なればとて余に示された、かつ今度出版すべき文学史をば亡児の記念としたいとのこと、及び余にも何か書き添えてくれよということをも話された。君と余と相遇うて亡児の事を話さなかっ・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
出典:青空文庫