・・・子は初め漢文を修め、そのまさに帝国大学に入ろうとした年、病を得て学業を廃したが、数年の後、明治三十五、六年頃から学生の受験案内や講義録などを出版する書店に雇われ、二十円足らずの給料を得て、十年一日の如く出版物の校正をしていたのである。俳句の・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・別ニ観察シテ之ヲ記ス可シ。此ノ宵一婢ノ適予ガ卓子ノ傍ニ来ツテ語ル所ヲ聞クニ、此酒肆ノ婢総員三十余人アリト云。婢ハ日々其家ヨリ通勤ス。家ハ家賃廉低ノ地ヲ択ブガ故ニ大抵郡部新開ノ巷ニ在リ。別ニ給料ヲ受ケズ、唯酔客ノ投ズル纏頭ヲ俟ツノミ。然レドモ・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・余輩、未だ英国に日本人の雇われて年に数千の給料を取る者あるを聞かず。而して独り我が日本国にて外人を雇うは何ぞや。他なし、内国にその人物なきがゆえなり。学者に乏しきがゆえなり。学者の頭数はあれども、役に立つべき学者なきがゆえなり。今の学者が今・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・一、官に学校を立つれば、金穀に差支えなくして、書籍器械の買入はもちろん、教師へも十分に給料をあたうべきがゆえに、教師も安んじて業につき、貧書生も学費を省き、書籍に不自由なし。その得、一なり。一、官には黜陟・与奪の権あるゆえ、学校の法・・・ 福沢諭吉 「学校の説」
・・・ 小学校の教師は、官の命をもって職に任ずれども、給料は町年寄の手より出ずるがゆえに、その実は官員にあらず、市井に属する者なり。給料は、区の大小、生徒の多寡によりて一様ならず。多き者は一月金十二、三両、少き者は三、四両。官員にて中小学校に・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・ゆえに政府の下にいて政事の恩沢を蒙る者は、国君・官吏の給料多しとてこれをうらやむべからず。政府の法正しければその給金は安きものなり。ただにこれをうらやまざるのみならず、また、したがってその人を尊敬せざるべからず。ただし国君官吏たる者も、自か・・・ 福沢諭吉 「中津留別の書」
よく晴れて前の谷川もいつもとまるでちがって楽しくごろごろ鳴った。盆の十六日なので鉱山も休んで給料は呉れ畑の仕事も一段落ついて今日こそ一日そこらの木やとうもろこしを吹く風も家のなかの煙に射す青い光の棒もみんな二人のものだった・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・日本の労働組合は一生懸命に同じ労働に対する男女の同じ賃金を求めて闘かっているけれども、実際に婦人のとる給料はまだ男よりも少ない。しかし女の子の方が身なり一つにも金がかかる。絹の靴下は一足が八百円もして、それは二ヵ月しかもたないのだから。気儘・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・ 黒目がちの瞳で顔をじっと見られ、さほ子は娘の境遇を忽ち推察した。「じゃあ、友達のところにいるの?」「――はあ」 給料のことも簡単に定ると、彼女は娘を待たせて良人のところに行った。 彼女は亢奮した顔で良人に囁いた。「・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・そのことのうちには、給料のこともふくまっていて、働いている婦人としての感情はお互に単純であり得ない。社会の凸凹が各個人の感情の凸凹にまでなっているところがあって、同じ勤めの女のひと同士の間に、万遍ない友情がなり立つということさえむずかしい。・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
出典:青空文庫