・・・あらゆるところで女の給料はやすかった。或る百貨店で初給が男より十七銭か女の方がやすくて、原則として対等にしていたが二三年後には男の方がぐっと上になってしまう。その店のひとの話では、どうしても男の店員は生活問題が痛切ですから仕事の上に責任も感・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・それに家の前は八間のコンクリートの国道であり、後方には東海道本線が走り、クラウゼ的な丘陵で、落付けません。道ばたのあの土堤や松はもうない。つまり、あったとさえ想像出来ぬように無いのです。ですから私はやっぱり市内に家をさがしましょう。十二月中・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・右にも左にも丘陵の迫った真中が一面焼石、焼砂だ。一条細い道が跫跡にかためられて、その間を、彼方の山麓まで絶え絶えについている。ざらざらした白っぽい巌の破片に混って硫黄が道傍で凝固していた。烈しい力で地層を掻きむしられたように、平らな部分、土・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・櫛比した人家の屋根の波を踰え、鈍く光りつつ横わっている港の展望、福済寺は、長崎港の一番奥、東北よりの丘陵の上に位している。埋立地もなかった昔の浜辺から此処迄は近かったに相違ない。海路平安という文字を刻された慈海燈は、唐船入津の時、或は毎夜、・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・先月二十七日に来た時、東公園と呼ばれる一帯の丘陵はまだ薄すり赤みを帯びた一面の茶色で、枯木まじりに一本、コブシが咲いていた。その白い花の色が遠目に立った。やがて桜が咲いて散り、石崖の横に立つ何だかわからない二丈ばかりの木が、白い蕾を膨らませ・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ ところどころ崩れ落ちて、水に浸っている堤の後からは、ズーとなだらかな丘陵が彼方の山並みまで続いて、ちょうど指で摘み上げたような低い山々の上には、見事な吾妻富士の一帯が他に抽でて聳えている。 色彩に乏しい北国の天地に、今雪解にかかっ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・その犬の飼われている家は、小石川の二つの丘陵地帯を繋ぐ、幅広い坂の中途にある。坂の中途に建った家がよくそうである通り、家全体の地盤が坂より低い。二三段石の踏段を降りて、門から玄関までの敷石を渡ることになっている。細長い、樫の木の生えた、狭く・・・ 宮本百合子 「吠える」
○西側の腰高窓の床の間よりに机を出して坐った。そこからは灰色の雨雲が走る空の下に 頂を濃い霧につつまれた小高い山とその手前の樹木の茂った丘陵とが見晴せた。狭い田圃をへだてたこちら側は 山陽線海岸まわりの幾条もの線路になってい・・・ 宮本百合子 「無題(十二)」
・・・これまでも我々は只お前と寝食を共にすると云うだけで、給料と云うものも遣らず、名のみ家来にしていたのに、お前は好く辛抱して勤めてくれた。しかしもう日本全国をあらかた遍歴して見たが、敵はなかなか見附からない。この按排では我々が本意を遂げるのは、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・己なんぞは会社の為事をして給料を貰っていりゃあ好いのだ。為事は一つありゃあ好いのだ。思付なんぞはいくらでもあるから、片っ端から人にくれて遣る。それを一つ掴まえて為事にする奴が成功するのだ。中には己の思付で己より沢山金をこしらえるものもある。・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
出典:青空文庫