・・・ Hは温度、Xは熱伝導の方面に計った距離、Kは物質により一定されたる熱伝導率だよ。すると長谷川君の場合はだね。……」 宮本は小さい黒板へ公式らしいものを書きはじめた。が、突然ふり返ると、さもがっかりしたように白墨の欠を抛り出した。「・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・ そのうちに、気がついて見ると、船と波止場との距離が、だいぶん遠くなっている。この時、かなり痛切に、君が日本を離れるのだという気がした。皆が、成瀬君万歳と言う。君は扇を動かして、それに答えた。が、僕は中学時代から一度も、大きな声で万歳と・・・ 芥川竜之介 「出帆」
・・・始めは自分の馬の鼻が相手の馬の尻とすれすれになっていたが、やがて一歩一歩二頭の距離は縮まった。狂気のような喚呼が夢中になった彼れの耳にも明かに響いて来た。もう一息と彼れは思った。――その時突然桟敷の下で遊んでいた松川場主の子供がよたよたと埒・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・三軒両隣の窓の中から人々が顔を突き出して何事が起こったかとこっちを見る時、あの子供と二人で皆んなの好奇的な眼でなぶられるのもありがたい役廻りではないと気づかったりして、思ったとおりを実行に移すにはまだ距離のある考えようをしていたが、その時分・・・ 有島武郎 「卑怯者」
・・・一人は駈出して距離を取る。その一人。小児三 やあ、大凧だい、一人じゃ重い。小児四 うん、手伝ってやら。――風吹け、や、吹け。山の風吹いて来い。――(同音に囃画工 こうなりゃ凧絵だ、提灯屋だ。そりゃ、しゃくるぞ、水汲むぞ、べっ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・あたかもその距離の前途の右側に、真赤な人のなりがふらふらと立揚った。天象、地気、草木、この時に当って、人事に属する、赤いものと言えば、読者は直ちに田舎娘の姨見舞か、酌婦の道行振を瞳に描かるるであろう。いや、いや、そうでない。 そこに、就・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・打たれるくらいなら先ずこッちゃから打って、敵砲手の独りなと、ふたりなと射殺してやりましょ』『なにイ――距離を測量したか?』『二百五十メートル以内――只今計りました。』『じゃア、やれ! 沈着に発砲せい!』『よろしい!』て、二人・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・すぐ目の前に落ちていたと思った宝石のくび飾りは、いくらいっても距離がありました。彼は、血眼になって、ただそれを拾おうと雪の中を道のついていないところもかまわずに駈け出したのでありました。そして、疲れて、目がくらんでついに雪の野原の中に倒れて・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・この女は近視だろうか、それとも、距離の感覚がまるでないのだろうかと、なんとなく迷惑していると、「いま、ちょっと出掛けて行きましたの」 その隙に話しに来た、――そんなことをされては困ると思った。私はむつかしい顔をした。 女はでかい・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・の大阪弁は、すべて純大阪弁より電車で三十分ぐらいの距離にある大阪弁であり、それがそれぞれはっきりと区別されるニュアンスの違いを持っているところに、大阪弁を書くむつかしさがあり、そしてまた、大阪の人たちがそれぞれの個性で彼等の言葉を独自に使っ・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
出典:青空文庫