・・・亡父は貴族院議員、手沼源右衛門。母は高。謙蔵は、その六男たり。同町小学校を経て、大正十二年青森県立青森中学校に入学。昭和二年同校四学年修了。同年、弘前高等学校文科に入学。昭和五年同校卒業。同年、東京帝大仏文科に入学。若き兵士たり。恥かしくて・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・二十九歳で県会議員。男ぶりといい、頭脳といい、それに大へんの勉強家。愚弟太宰治氏、なかなか、つらかろと御推察申しあげます。ほんとに。三日深夜。粉雪さらさら。北奥新報社整理部、辻田吉太郎。アザミの花をお好きな太宰君。」「太宰先生。一大事。・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・その頃、れいの多額納税の貴族院議員有資格者は、一県に四五人くらいのものであったらしい。曾祖父は、そのひとりであった。昨年、私は甲府市のお城の傍の古本屋で明治初年の紳士録をひらいて見たら、その曾祖父の実に田舎くさいまさしく百姓姿の写真が掲載せ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・風間という勅選議員の甥だそうだが、あてにならない。ほとんど職業的な悪漢である。言う事が、うまい。「チルチルもうそろそろ足を洗ったらどうだ。鶴見画伯のお坊ちゃんが、こんな工合いじゃ、いたましくて仕様が無い。おれたちに遠慮は要らないぜ。」思・・・ 太宰治 「花火」
・・・その点でも市会議員の選挙運動などよりはよほど穏やかでいいものである。 政党の宣伝などに行なわるる手段方法については多くを知らないが、いずれにしてもこれは便宜上の動機から来る宣伝で、始めからまじめなものでないから、どちらがどうなっても問題・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・ 壇に向かって後ろ上がりに何列となく並んだ椅子の列には、色々の服装をした、色々の年輩の議員達の色々の頭顱が並んでいた。私は意外に空席がかなりに多い事を不思議に思った。 壇上の人が何かいう度に、向かって右の方と左の方の椅子の列から拍手・・・ 寺田寅彦 「議会の印象」
・・・そういう時に若干の老人が昔の例を引いてやかましく云っても、例えば「市会議員」などというようなものは、そんなことは相手にしないであろう。そうしてその碑石が八重葎に埋もれた頃に、時分はよしと次の津浪がそろそろ準備されるであろう。 昔の日本人・・・ 寺田寅彦 「津浪と人間」
・・・ 小学校建築には政党政治の宿弊に根を引いた不正な施工がつきまとっているというゴシップもあって、小学生を殺したものは○○議員だと皮肉をいうものさえある。あるいは吹き抜き廊下のせいだというはなはだ手取り早で少し疑わしい学説もある。あるいはま・・・ 寺田寅彦 「天災と国防」
・・・ただし市会議員のよこしたのだけは紙くずかごに入れるようである。また自分の住所をかかないでよこすのはこの目的を達しないといってこぼしている。ずいぶん勝手なことをいうのである。 そうかと思うとまた彼はこういう気焔を吐く事もある。「ある僕の全・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・それほどでなくても、たとえば議院新築落成式の日に、過去の議会におけるいろいろな故人の演説の断片を聞くことができても多少の感慨はあるであろう。 もしも、レコードと現場の放送との継ぎ目を自由に、ちょうどフィルムをつなぐようにつなぐことができ・・・ 寺田寅彦 「ラジオ・モンタージュ」
出典:青空文庫