・・・ 私はぶるぶる震えて泣きながら、両手の指をそろえて口の中へ押こんで、それをぎゅっと歯でかみしめながら、その男がどんどん沖の方に遠ざかって行くのを見送りました。私の足がどんな所に立っているのだか、寒いのだか、暑いのだか、すこしも私には分り・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・いよいよ狸の親方が来たのかなと思うと、僕は恐ろしさに脊骨がぎゅっと縮み上がりました。 ふと僕の眼の前に僕のおとうさんとおかあさんとが寝衣のままで、眼を泣きはらしながら、大騒ぎをして僕の名を呼びながら探しものをしていらっしゃいます。それを・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・唇をぎゅっと歪めた。狼狽をかくそうとするさまがありありと見えた。それを見ると、私もまた、なんということもなしに狼狽した。 やがて女は帯の間へさしこんでいた手を抜いて、不意に私の肩を柔かく敲いた。「私を尾行しているのんですわ。いつもあ・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・と蓮葉に言って、赤い斑点の出来た私の手の甲をぎゅっと抓ると、チャラチャラと二階の段梯子を上って行ったが、やがて、「――ちょんの間の衣替え……」と歌うように言って降りて来たのを見ると、真赤な色のサテン地の寝巻ともピジャマともドイスともつか・・・ 織田作之助 「世相」
・・・次に魚がぎゅっと締める時に、右の竿なら右の手であわせて竿を起し、自分の直と後ろの方へそのまま持って行くので、そうすると後ろに船頭がいますから、これが網をしゃんと持っていまして掬い取ります。大きくない魚を釣っても、そこが遊びですから竿をぐっと・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・と言いかけてすっと腰を伸ばし、瞬時、苦痛に耐えかねるような、とても悲しい眼つきをなされ、すぐにその眼をぎゅっと固くつぶり、つぶったままで言いました。「みんなが潔ければいいのだが」はッと思った。やられた! 私のことを言っているのだ。私があの人・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・と言ってお辞儀をしたら、あなたも、ぎゅっとまじめになって、「僕は井原です。仕事の邪魔になったようですね。」と、はじめて、あなたの文章と同じ響きの、強い明快の調子で言いました。「いいえ、それどころか。」私は、てんてこ舞いをしていました。そ・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・夕刊を投げ出して、両方の手で眼玉を押しつぶすほどに強くぎゅっとおさえる。しばらく、こうしているうちに、眠たくなって来るような迷信が私にあるのだ。けさの水たまりを思い出す。あの水たまりの在るうちは、――と思う。むりにも自分にそう思い込ませる。・・・ 太宰治 「鴎」
・・・それではまず、ぎゅっと言わせてやろう。僕も微笑みながら、だまって駒をならべた。青扇の棋風は不思議であった。ひどく早いのである。こちらもそれに釣られて早く指すならば、いつの間にやら王将をとられている。そんな棋風であった。謂わば奇襲である。僕は・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・ ふつうの人間は臨終ちかくなると、おのれの両のてのひらをまじまじと眺めたり、近親の瞳をぼんやり見あげているものであるが、この老人は、たいてい眼をつぶっていた。ぎゅっと固くつぶってみたり、ゆるくあけて瞼をぷるぷるそよがせてみたり、おとなし・・・ 太宰治 「逆行」
出典:青空文庫