・・・ こんな年中行事は郷里でも、もうとうの昔に無くなってしまって、若い人たちにはそんな事があったということさえ知られていないかもしれない。 三 冬夜の田園詩 これも子供の時分の話である。冬になるとよく北の山に山火事が・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・野球の場合とちがって野天ではなく大きな円頂蓋状の屋根でおおわれた空間の中であるだけに、観客群衆のどよみがよくきこえる。行司の古典的荘重さをもった声のひびきがちゃんと鉄傘下の大空間を如実に暗示するような音色をもってきこえるのがおもしろい。観客・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・これが近年の年中行事の一つになっていた。 ところが今年は病気をして外出が出来なくなった。二科会や院展も噂を聞くばかりで満足しなければならなかった。帝展の開会が間近くなっても病気は一向に捗々しくない。それで今年はとうとう竹の台の秋には御無・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・美々しい回しをつけた力士が堂々としてにらみ合っていざ組もうとすると、衛士だか行司だかが飛び出して来て引き分け引き止める。そういう事がなんべんとなく繰り返される。そして結局相撲は取らないでおしまいになるのである。どういう由緒から起こった行事だ・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
・・・ 五 夏の盛りに虫送りという行事が行なわれる。大きな太鼓や鐘があぜ道にすえられて赤裸の人形が力に任せてそれをたたく。 音が四方の山から反響し、家の戸障子にはげしい衝動を与える。空には火炎のような雲の峰が輝いて・・・ 寺田寅彦 「田園雑感」
毎朝起きて顔を洗いに湯殿の洗面所へ行く、そうしてこの平凡な日々行事の第一箇条を遂行している間に私はいろいろの物理学の問題に逢着する。そうしていつも同じようにそれに対する興味は引かれながら、いつまでもそのままの疑問となって残・・・ 寺田寅彦 「日常身辺の物理的諸問題」
・・・しかし間もなくそれが常習的年中行事となると、今度はそれが大きな苦労の種となった。わがままで不精な彼にとって年賀状というものが年の瀬に横たわる一大暗礁のごとく呪わしきものに思われて来たのだそうである。「同じ文句を印刷したものを相互に交換す・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・その中でも季節に関する年中行事の報道やあるいは近き未来に関する各種の予告などこういった種類のものを日々新聞で承知するという事は決して悪い事ではない。しかし今日実際に存在する新聞の社会欄で最も大きな部分を占めているのはこの種の事がらではない。・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・物々しい番兵の交代はベルリン名物の一つであったが、実際いかにも帝政下のドイツのシンボルのように花やかでしかもしゃちこばった感じのする日々行事であった。この花やかにしゃちこばった気分がドイツ大学生特にいわゆるコアー学生の常住坐臥を支配している・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・もっとも二年生のとき牛頓祭という理科大学学生年中行事の幹事をさせられたので、それが頭にあったためかもしれない。また、短文の方は例えば「赤」とか「旅」とかいう題を出して、それにちなんだ十行か二十行くらいの文章を書かせるのであった。何という題で・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
出典:青空文庫