・・・北京を蔽った黄塵はいよいよ烈しさを加えるのであろう。今は入り日さえ窓の外に全然光と言う感じのしない、濁った朱の色を漂わせている。半三郎の脚はその間も勿論静かにしている訣ではない。細引にぐるぐる括られたまま、目に見えぬペダルを踏むようにやはり・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・と云う条件を加えるのである。――念のためにもう一度繰り返すと、顔は美人と云うほどではない。しかしちょいと鼻の先の上った、愛敬の多い円顔である。 お嬢さんは騒がしい人ごみの中にぼんやり立っていることがある。人ごみを離れたベンチの上に雑誌な・・・ 芥川竜之介 「お時儀」
・・・ ああ、己はその呪わしい約束のために、汚れた上にも汚れた心の上へ、今また人殺しの罪を加えるのだ。もし今夜に差迫って、この約束を破ったなら――これも、やはり己には堪えられない。一つには誓言の手前もある。そうしてまた一つには、――己は復讐を・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・その不便からだけでも、我々は今我々の思想そのものを統一するとともに、またその名にも整理を加える必要があるのである。 見よ、花袋氏、藤村氏、天渓氏、抱月氏、泡鳴氏、白鳥氏、今は忘られているが風葉氏、青果氏、その他――すべてこれらの人は皆ひ・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 衝と銜えると、大概は山へ飛ぶから間違はないのだが、怪我に屋根へ落すと、草葺が多いから過失をしでかすことがある。樹島は心得て吹消した。線香の煙の中へ、色を淡く分けてスッと蝋燭の香が立つと、かあかあと堪らなそうに鳴立てる。羽音もきこえて、・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・「糸塚さんへ置いて行きます、あとで気をつけて下さいましよ、烏が火を銜えるといいますから。」 お米も、式台へもうかかった。「へい、もう、刻限で、危気はござりましねえ、嘴太烏も、嘴細烏も、千羽ヶ淵の森へ行んで寝ました。」 大城下・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・人、政治家を志ざしながら少しも政治家らしくなかった人、実業家を希望しながら企業心に乏しく金の欲望に淡泊な人、謙遜なくせに頗る負け嫌いであった人、ドグマが嫌いなくせに頑固に独断に執着した人、更に最う一つ加えると極めて常識に富んだ非常識な人――・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・大井広介氏を加えるのもいい。 文学雑誌もいろいろ出て「人間」など実にいい名だが、「デカダンス」というような名の雑誌が出てもいいと思う。 文学は文学者にとって運命でなければならぬ――と北原武夫氏が言っているのは、いい言葉で、北・・・ 織田作之助 「文学的饒舌」
・・・ 彼が躍起となって鞭撻を加えれば加えるほど、私の心持はただただ萎縮を感じるのだ。彼は業を煮やし始めた。それでもまだ、彼が今度きゅうに、会のすんだ翌朝、郷里へ発たねばならぬという用意さえできなかったら、あるいはお互の間が救われたかもしれない。・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・私は私の意志からでない同様の犯行を何人もの心に加えることに言いようもない憂鬱を感じながら、玄関に私を待っていた友達と一緒になるために急いだ。その夜私は私達がそれからいつも歩いて出ることにしていた銀座へは行かないで一人家へ歩いて帰った。私の予・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
出典:青空文庫